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三皇本紀

三皇 本紀 太皥庖犠氏 ― 女媧氏 ― 炎帝神農氏 又は 天皇 ― 地皇 ― 人皇 1 三皇本紀は司馬遷の手になるものでない。史記三注の一つである『史記索 隠』を著した唐の司馬貞が補筆したものである。司馬遷も三皇の伝説は当 然知っていたであろうが、彼は歴史的認識を五帝からとした。歴史を記述 する場合に於いて、伝説をかき集めて、できうる限り古くから説き起こそ うとするものであるが、司馬遷は自分自身が歴史的事実として認識できな いことは勇気を以て省いた。是に於いて司馬遷が歴史家として評価される 点である。 太皥庖犠氏(タイ・コウ・ホウ・ギ・シ)は風姓なり。燧人氏に代わり天 に継ぎて王たり。母を華胥と曰う。大人の迹を雷澤に履みて庖犠を成紀に 生む。蛇身人首にして、聖徳有り。仰げば則ち象(日月星辰の働き)を天 に観、附せば則ち法(地の形勢、四時の変化などの節度)を地に観、旁く 鳥獣の文と地の宜を観、近く諸れを身に取り、遠く諸れを物に取り、始め て八卦を画し、以て神明の徳に通じ、以て万物の情を類す。書契(文字) を造り、以て結縄の政に代う(文字の無い時代、縄を結んで

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三皇 本紀

太皥庖犠氏 ― 女媧氏 ― 炎帝神農氏

又は

天皇 ― 地皇 ― 人皇

1

三皇本紀は司馬遷の手になるものでない。史記三注の一つである『史記索 隠』を著した唐の司馬貞が補筆したものである。司馬遷も三皇の伝説は当

然知っていたであろうが、彼は歴史的認識を五帝からとした。歴史を記述

する場合に於いて、伝説をかき集めて、できうる限り古くから説き起こそ うとするものであるが、司馬遷は自分自身が歴史的事実として認識できな

いことは勇気を以て省いた。是に於いて司馬遷が歴史家として評価される 点である。

太皥庖犠氏(タイ・コウ・ホウ・ギ・シ)は風姓なり。燧人氏に代わり天 に継ぎて王たり。母を華胥と曰う。大人の迹を雷澤に履みて庖犠を成紀に

生む。蛇身人首にして、聖徳有り。仰げば則ち象(日月星辰の働き)を天

に観、附せば則ち法(地の形勢、四時の変化などの節度)を地に観、旁く 鳥獣の文と地の宜を観、近く諸れを身に取り、遠く諸れを物に取り、始め

て八卦を画し、以て神明の徳に通じ、以て万物の情を類す。書契(文字)

を造り、以て結縄の政に代う(文字の無い時代、縄を結んで約とし、政を 行った)。是に於いて始めて嫁娶を制し、儷皮(レイ・ヒ)を以て礼と為

し(儷は一対、一対の皮を交換し合って結婚の礼とした)、網罟(モウ・ コ、網は大きい目のあみ、罟は小さい目のあみ)を結び以て佃漁(佃は鳥

獣を取ること、漁は魚類を取ること)を教う。故に宓(フク)犠氏と曰う。

犠牲を養い以て庖厨にす(厨房で料理して神に供えて祀ること)。故に庖 犠と曰う。龍瑞有り、龍を以て官に紀し、号して龍師と曰う(官名に龍を

付けて、其の長を龍師と言った)。三十五弦の瑟を作る。木徳王たり。春 令を注す(政令を春に行うことを記した)。故に易(易経)に帝、震(八

卦の一つで東方を指す)に出づ、と称し、月令(礼記の篇名)に孟春(春

三ヶ月の最初の月)、其の帝は太皥といえるは是なり。陳に都す。東のか た太山に封ず。立ちて一十一年にして崩ず。其の後裔は春秋の時に當り、 任・宿・須・句・顓曳有り。皆風姓の胤なり。 女媧氏も亦た風姓なり。蛇身人首にして、神聖の徳有り。宓犠に代わりて 立つ。号して女希氏と曰う。革め造ること無く、惟だ笙・コウ(“たけか

んむり”に“黄”の字、笛の一種)を作れるのみ。故に易に載せず。五運 を承けず(五行の運行順序をついでいない)。一に女媧と曰う。亦た木徳

の王たり。蓋し、宓犠の後、已に数世を経て、金木、輪環して、周りて復

た始りしならん。特に女媧を挙ぐるは、其の功高くして三皇に克(あたる) るを以てなり。故に頻(しきりに)りに木をもて王たるなり。其の末年に

當るや、諸侯に共工氏有り。智刑(智慧と刑罰)に任じ、強を以て覇たり。 而れども王たらず。水を以て木に乗じ、乃ち祝金融と戦い勝たずして(水

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徳を以て木徳を破り、王位を継ごうと戦いを仕掛けたが、祝融が鎮定した) 怒る。乃ち頭、不周山に触れて崩れ、天柱、折け、地維(地を維持してい

る網)缺く。女媧乃ち五色の石を練り以て天を補い、鼇(ゴウ、神話上の

おおがめ)の足を断ち以て四極を立て、蘆の灰を聚め以て滔水(洪水)を 止め、以て冀州を濟(すくう)う。是を以て地は平らぎ、天は成り、旧物 を改めず。女媧氏没し、神農氏作る。 炎帝神農氏は姜姓なり。母を女登と曰う。有媧氏の女なり。少典(国名) の妃と為る。神龍に感じて炎帝を生む。人身牛首なり。姜水に長ず。因り

て以て姓と為す。火徳の王たり。故に炎帝と曰う。火を以て官に名づく。 木を斲りて耜(シ、木製の鋤)と為し、木を揉(たわめる)めて耒(ライ、

鋤の柄)と為し、耒耨(ライ・ドウ、鋤と鍬)の用、以て万人に教え、始

めて耕を教う。故に神農氏と号す。是に於いて蜡祭(サ・サイ、臘祭のこ とで、冬至後の第三の戌の日に百神を祭る。夏の時代は清祀、殷代は嘉平、

周代は大蜡と言い、始皇の時に殷の嘉平に戻した)を作す。赭鞭(赤色の

鞭)を以て草木を鞭うち、始めて百草を嘗めて、始めて医薬有り。又五弦 の瑟を作る。人に教えて、日中に市を為し、交易して退かしめ(日中に市

を開き、物を交換して、夕方には家に帰るようにした)、各々其の所を得 たり。遂に八卦を重ねて六十四爻と為す。初めて陳に都し、後に曲阜に居

る。立ちて一百二十年にして崩ず。長沙に葬る。神農は本烈山に起こる。

故に左氏は称すらく、烈山氏の子は柱と曰う、と。亦た厲山氏と曰う。礼 に、厲山氏の天下を有つと曰えるは是れなり。神農、奔水氏の女、聴ハツ

(“抜”の“てへん”を“ごんべん”にする)と曰えるを納れて妃と為す。 帝哀を生む。哀、帝克を生む。克、帝楡罔を生む。凡そ八代、五百三十年

にして軒轅氏興る。其の後、州・甫・甘・許・戯・露・斉・紀・怡(イ)・

向・申・呂有り。皆姜姓の後にして、竝びて諸侯と為る。或いは分かれて 四岳(諸侯を東西南北に分けて、それぞれの長を言う)と為る。周室に當

り、甫侯・申伯は王の賢相と為り、斉・許は列して諸侯と為り、中国に覇

たり。蓋し聖人にして、徳澤は廣大なり。故に其の祚胤(ソ・イン、天子 の子孫)、繁昌久長なりと云う。 一説に、三皇は天皇・地皇・人皇を謂いて三皇と為す。既に是れ開闢の初 めは、君臣の始めにして、図緯((図は河の図、緯は経書に対する緯書、

漢代に書かれたが俗説を主としている)の載する所にして、全く棄つ可か

らず。故に兼ねて之を序づ。天地初めて立つや、天皇氏有り。十二頭(人)、 澹泊(淡白に同じ)にして、施為(行為)する所無しくして、俗(民の俗)

に自ら化す。木徳の王たり。歳は攝提に起こる(摂提とは、歳星、乃ち木 星が寅の方角に在る歳を言い、この歳を紀元とした)。兄弟十二人、立ち

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て各々一万八千歳。地皇は十一頭、火徳の王たり。姓十一人なり。熊耳・ 龍門等の山より起こる。亦各々萬八千歳。人皇は九頭、雲車に乗り、六羽

(太陽の中に棲んでいると言われている、六羽の鳥)に駕し、谷口を出づ。

兄弟九人、分かちて九州に長たり。各々城を立てて邑す。凡そ一百五十世。 合わせて四万五千六百年。人皇自り已後、五龍氏・燧(スイ)人氏・大庭

氏・栢皇氏・中央氏・巻須氏・栗陸氏・驪連氏・赫(カク)胥氏・尊盧氏・

渾沌氏・昊(コウ)英氏・有須氏・朱襄氏・葛天氏・陰康氏・無懐氏有り。 斯れ蓋し三皇已来、天下を有つ者の号なり。但だ載籍(書籍)、紀せざれ

ば、姓王・年代、都する所の処を知る莫し。而して韓詩に以為らく、古自 り泰山に封じ、梁甫に禅ずる者、萬有余家。仲尼、之を観て、尽く識るこ

と能わず、と。管子も亦曰く、「古より泰山に封ずるもの七十二家、夷吾

(管仲)の識る所は十有二のみ。首めに無懐氏有り。」然らば則ち無懐氏 の前、天皇已後、年紀悠邈(ユウ・バク、遥かに遠いこと)にして、皇王、

何れか昇りて告げたるか(王位に昇って政令を告げたのか)、但だ古書亡

びたれば、備(つぶさに)に論ず可からず。豈に帝王無しと謂うことを得 んや。故に春秋緯(春秋の緯書)に称す、開闢自り獲麟に至るまで(魯の

哀公が即位十四年、前四八一年に狩をして麟を獲たので、不祥であるが為 に、孔子は『春秋』の記載を止めたとされており、ここでは其の歳を指し

ている。『春秋』の経書は哀公二十七年まで記載されている。)、凡そ三百

二十七万六千歳、分かちて十紀と為す。凡そ世は七万六百年(年は世の誤 りであろう)。一に曰く、九頭紀、二に曰く、五龍紀、三に曰く、摂提紀、

四に曰く、合雒紀、五に曰く、連通紀、六に曰く、序命紀、七に曰く、修 飛紀、八に曰く、回提紀、九に曰く、禅通紀、十に曰く、流訖紀、と。蓋

し流訖は黄帝の時に當る。九紀の間を制す。是を以て此こに録して、之を 補紀す。

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校對記錄

  • 2026-05-07 確認錯誤:文中稱『三皇本紀は司馬遷の手になるものでない。…唐の司馬貞が補筆したものである』,這一說法基本正確;但後文又把《史記索隱》當作『史記三注の一つ』並稱『三皇本紀』為其補筆內容,容易混淆《三皇本紀》與《史記索隱》之關係。更明確地說,《三皇本紀》是司馬貞對《史記》所作的補入,不是《史記索隱》本身的篇名。 → 正確:原文將《三皇本紀》說成出自唐司馬貞補筆,且屬於對《史記》的補入;「史記索隱」是司馬貞所著的《史記》注釋書,兩者不是同一篇名,原敘述確有混淆之虞。

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ID: paper:3eaf66669c48 · 最後更新:2026/5/8· 版本:20260508 · 版本歷史

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