暦考察
暦考察 Investigations of Current and Old Calendars 作花 一志(京都情報大学院大学) Kazushi Sakka(The Kyoto College of Graduate Studies for Informatics) Abstract Investigations of current and old calendars are presented on solar and lunar motions. Some topics on leap years, day of week 24 solar-terms are described in the first part. In the next part, the history, customs, and structures of old Japanese calendars are discussed. ■ 1. 太陽暦の起源 閏年の設置法 現在私たちが使っている暦のルーツは約5000年 前のエジプトにある。ナイル川は毎年決まった時期 になると洪水を起こし,そのときは避難しなけ
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暦考察 Investigations of Current and Old Calendars 作花 一志(京都情報大学院大学) Kazushi Sakka(The Kyoto College of Graduate Studies for Informatics) Abstract Investigations of current and old calendars are presented on solar and lunar motions. Some topics on leap years, day of week 24 solar-terms are described in the first part. In the next part, the history, customs, and structures of old Japanese calendars are discussed. ■
- 太陽暦の起源 閏年の設置法 現在私たちが使っている暦のルーツは約5000年 前のエジプトにある。ナイル川は毎年決まった時期 になると洪水を起こし,そのときは避難しなければ ならないが,同時に上流から肥沃な土を運んでくる ので耕作には欠かせない。その時期は東北から太陽 が昇ってくる直前に東南からシリウスが昇ってくる 7月10日ころで,その周期は365と1/4日という ことに彼らは気づいた。これに基づいた暦はユリウ ス・カエサル(BC100-BC44)によってローマにも たらされ(BC45),次のように決められた。 | ・ 年初はそれまでのMartiusからJanuarisに変更 | 図1 ユリウス・カエサル | 図2 アウグストゥス・ | | | ------------------------------ | ------------ | ------------- | --- | | | (シーザー) | オクタビアヌス | | する。 | | ローマの将軍[1] | ローマ初代皇帝[2] | | | --- | ------------ | ---------- | --- | ・奇数月の日数は31日,偶数月は30日とする。 | ・ 1年=316+305+29=365日であるが4年に1度 | である。ユリウス暦では4年に1度,1年を366 | | | | ------------------------------- | ------------------------------ | ------- | -------- | | は閏年を設け366日とする。Februariusのみ平 | 日としているので,1 | 年の平均日数は | 365+1/4 | | 年は 29 日とする。これは古代ローマ暦では | =365.25であり,一方1年の日数は365.242194… | | | | Februariusが年末だった風習を引き継いだため | 日(回帰年)だから,1年につき0.0078≒(1/ | | | | だ。 | 128)日の誤差が出る。このわずかな誤差でも128 | | | | ・カエサルは自分の誕生月の名前をJuliusに変え | 年経つと1日の誤差を生む。128歳まで生きる人は | | | | たが,後継者アウグストゥス(BC63-AD14)も自 | いないので日常生活にはそこまでの正確さは必要な | | | | 分の誕生月の名前をAugustusに変え,さらにその | いが,長期間にわたって毎年決まった日に行事を行 | | | | 月の日数を31日に変えてしまったため,それ以降 | うとなればこれでは不十分だ。イエスが復活したと | | | | の月の日数も変わってしまった。2月は平年では | 言われるキリスト教の重要行事である復活祭(イー | | | | 28日,閏年では29日となった。これをユリウス暦 | スター)は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜 | | | | といい,ローマ帝国にやがてヨーロッパ全体に定着 | 日」(諸説あり)だから,春分の日を正確に決めね | | | | していった。 | ばならない。ユリウス暦は非常に長期間使われてい | | | | ユリウス暦では単純に西暦が4で割り切れる年 | たため,春分の日は前へ前へずれていき,16世紀 | | | | はすべて閏年としていた。500年も1500年も閏年 | には3月11日になっていた。そこで当時のローマ | | | NAIS Journal 49
表1 当初のローマの暦
| 月 英語 | 古ローマ 古代ローマの月名の由来 | 日数 | |
|---|---|---|---|
| 過去・未来を見据 | |||
| 1月 January | Ianuarius えて門を守る神ヤ | 31 | |
| ---------- | ------------------ | --- | --- |
| ヌスに由来 | |||
| 浄罪と贖罪の神 | |||
| 2月 February | Februarius フェブアリウスに | 28 or 29 | |
| ----------- | ------------------- | -------- | --- |
| 由来 | |||
| 3月 March | Martius 軍神マルスに由来 | 31 | |
| -------- | ---------------- | --- | --- |
| 美と愛の女神アフ | |||
| 4月 April | Aprilis | 30 | |
| -------- | ------- | --- | --- |
| ロディテに由来 | |||
| 豊穣の女神マイア | |||
| 5月 May | Maius | 31 | |
| ------ | ----- | --- | --- |
| に由来 | |||
| 結婚の女神ユー | |||
| 6月 June | Iunius | 30 | |
| ------- | ------ | --- | --- |
| ノーに由来 | |||
| 図3 グレゴリウス13世と天正遣欧使節の少年たち[3] | |||
| 5番目の月 ユリウ | |||
| 7月 July | Quintilis ス・カエサルをた | 31 | |
| ------- | ------------------ | --- | --- |
| たえてIuliusに改称 | |||
| 6番目の月 アウグ 閏年にはオリンピック大会が開かれると言われる | |||
| 8月 August | Sextilis ストゥスをたたえ | 30 | |
| --------- | ----------------- | --- | --- |
| てAugustusと改称 が,実は閏年にオリンピックが開かれなかったこと | |||
| は3回ある。1916年(ベルリン),1940年(東京), | |||
| 9月 September | September 7番目の月 | 31 | |
| ------------ | --------------- | --- | --- |
| 1944年(ロンドン),そして2020年(東京)。前3 | |||
| 10月 October | October 8番目の月 | 30 | 者は戦争のため中止で,最後はコロナウィルス蔓延 |
| ----------- | ------------- | --- | ----------------------- |
| のため翌年に延期。では逆に平年に開かれたことが | |||
| 11月 November | November 9番目の月 | 31 | |
| ------------ | -------------- | --- | --- |
| あっただろうか?1回だけ,パリのオリンピック | |||
| は1900年,この年が平年であることはあまり知ら | |||
| 12月 December | December 10番目の月 | 30 | |
| ------------ | --------------- | --- | --- |
| れていないがa),b)どちらにもあてはまらないの | |||
| で平年である。 | |||
| 教皇グレゴリウス13世は学者たちを招集して暦の | なお,この教皇の治世最晩年にあたる1585年3 | ||
| ---------------------------------- | --- | ------- | -------------------------- |
| 研究を行わせ,1582年に閏年を下記のように置く | 月に九州のキリシタン大名から遣わされた天正遣欧 | ||
| 新暦(グレゴリオ暦)を制定公布した。 | 使節の少年たちが,教皇の謁見を受けている絵がグ | ||
| 1)西暦年が4で割り切れる年は閏年 | レゴリウス大学に所蔵されている。 | ||
| 2) ただし西暦年が100で割り切れる年は閏年で | グレゴリオ暦はローマカトリック系の国(スペイ | ||
| はない | ン,ポルトガル,フランス,イタリア,南ドイツ諸 | ||
| 3)ただし西暦年が400で割り切れる年は閏年 | 都市・諸国など)ではその日からあるいは翌年から | ||
| なんだかわかりにくいがどの本でも大体似たよう | 採用される。この日を生きていたガリレオの場合, | ||
| な表現になっている。そこでプログラミングできる | 生年月日はユリウス暦1564年2月15日 で,没年 | ||
| ように少し書き換えてみよう。 | 月日は グレゴリオ暦1642年1月8日である。し | ||
| a)西暦年が400で割り切れる年。 | かしプロテスタント系の国(イギリス,スウェーデ | ||
| b) 西暦年が4で割り切れるが100で割り切れな | ン,北ドイツ諸国など)では約200年も遅れる。 | ||
| い年。 | イギリスでは(植民地だったアメリカを含む) | ||
| 「この2つの条件のどちらかに当てはまる年は閏 | 1752年からで,ニュートンの生没年は1642年12 | ||
| 年,それ以外は平年」とすれば多少はスッキリする。 | 月25日-1727年3月20日,だがこれはユリウス | ||
| 1582年10月4日(木曜日)の翌日は10月15 | 暦の日付だ(グレゴリオ暦では1643年1月4日 | ||
| 日(金曜日)となったため10日間は空白となったが, | -1727年3月31日)。最も遅れるのは東方正教会 | ||
| 曜日は連続している。グレゴリオ暦は閏年を減らす | 系の国(ロシア,ギリシアなど東欧)で,第1次 | ||
| ために制定されたもので,閏年を | 400 年間に | 世界大戦ころまでユリウス暦を使っていた。今も宗 | |
| 400/4-400/100+400/400=97回置いているから1年 | 教行事にはユリウス暦だそうだ。アジア諸国は19 | ||
| の平均日数は365+97/400=365.2425日となる。 | 世紀後半~20世紀初に太陰太陽暦から太陽暦に切 | ||
| 50 NAIS Journal |
| り換えるが,ユリウス暦は使っていない。わが国で | ている。これによると閏年は900年間に900/4- | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 太陽暦が採用されたのは明治6年(1873年)から | 900/100+2=218 | 回 あ | る か ら,1 | 年 は 平 均 | |||
| となっているが,正確には旧暦の明治5年12月3 | 365+218/900=365.242222 日で,グレゴリオ暦よ | ||||||
| 日がグレゴリオ暦の明治6年の1月1日に変わった。 | り1桁も精度がよく,数万年もずれない。将来, | ||||||
| したがって明治5年12月には3日以降はなかった。 | 2800年がグレゴリオ暦では閏年なのに対し,改訂 | ||||||
| 暦を変更するために詔書および太政官布告が出てい | ユリウス暦では平年になり,日付は1日ずれる。 | ||||||
| る。しかし混乱を避けるため政府が正式に認めた暦 | 2900年は逆に改訂ユリウス暦だけが閏年となり, | ||||||
| にも明治42年の暦まで旧暦の日付が参考として記 | 日付は再び一致するが,3200年と3300年でまた | ||||||
| されていたそうだ。韓国では1896年から,中国で | 同じようなことが起こる。正確ではあっても非常に | ||||||
| は1912年から,また中東では独自の太陽暦が使わ | 複雑なので,果たしてどこの国の宗教行事で使われ | ||||||
| れている。 | ているか,筆者は知らない。 | ||||||
| 20世紀21世紀ではユリウス暦は13日遅れてい | 実はこのような新しい正確な暦は簡単にできる。 | ||||||
| る。1700年,1800年,1900年はユリウス暦では | x年の間にy回閏年を置くと1年の平均日数は365 | ||||||
| 閏年だが,グレゴリオ暦では平年になったためだ。 | + y/x 日であり,それが1回帰年 365.242194…日 | ||||||
| 13日のずれは2100年まで続く。ユリウス暦日を | に近くなるような自然数x | と を探していく。 | |||||
| y | |||||||
| グレゴリオ暦に変換するときにはユリウス暦日に次 | 1000年間にわたって調べた結果が表3である。 | ||||||
| ----------------------- | --- | --- | --- | ----------------------- | --- | --- | --- |
| の日数を加えればよい。 | |||||||
| 表3 置閏と太陽年値 | |||||||
| 表2 ユリウス暦日の補正 | 何年に | 何回 | |||||
| ------------------------------- | ------------- | -------- | ------ | ---------------------------- | --- | ----------- | ------- |
| 順 | y/x | 備考 | |||||
| x | y | ||||||
| 世紀 1 | 2 | 3 4 5 | 6 7 8 | ||||
| 1 929 | 225 | 0.2421959 | |||||
| 日数 -2 | -1 | 0 1 1 | 2 3 4 | 2 801 | 194 | 0.24219 73 | |
| 3 673 | 163 | 0.2421991 | |||||
| 世紀 9 | 10 11 | 12 13 14 | 15 16 | ||||
| 4 128 | 31 | 0.2421875 | 改定案1 | ||||
| 日数 4 | 5 | 6 7 7 | 8 9 10 | ||||
| 5 545 | 132 | 0.2422018 | |||||
| 世紀 17 | 18 19 | 20 21 22 | 23 24 | ||||
| 16 900 | 218 | 0.2422222 | 改定ユリウス暦 | ||||
| 131 33 | 8 | 0.2424242 | 改定案2 | ||||
| 日数 10 | 11 12 | 13 13 14 | 15 16 | ||||
| 153 400 | 97 | 0.2425 | グレゴリオ暦 | ||||
| s-[(s-1)/4]-x ただし s(≠0) は世紀値で, | 第2列は y,第3列は x であり,第4列は x/yの | ||||||
| [ ]は切り捨て整数化,x は s>0ならば3で s<0な | 値である。第4列の値が0.242~0.243となるも | ||||||
| ら2とする[4]。 | のは1000年間に499回あるが,そのベスト5件と | ||||||
| ところで民法によると閏年であれ平年であれ「誕 | 参考3件を載せた。最も誤差が小さいのは閏年を | ||||||
| 生日の前日が終了する瞬間に年齢が変わることにな | 929年間に225回設ける場合だが,これを実際に | ||||||
| る。」そうである。したがって2月29日生まれの | 設置することは非常に困難である。2番3番につい | ||||||
| 場合は,2月28日が終了する瞬間に年齢が変わる。 | ても同様のことが言える。それらに比べると誤差は | ||||||
| 運転免許更新やいろいろな満期などにはご注意を。 | やや大きいが,4番の場合は使えそうだ。128年間 | ||||||
| グレゴリオ暦でも閏の問題は完全に解決したわけ | に31(=128/4-1)回の閏年を置くことになるから | ||||||
| ではなく3320年につき1日ずれてしまう。1923 | 具体的には | ||||||
| 年に,それまでユリウス暦を使っていたギリシャ正 | 1)西暦年が4で割り切れる年は閏年 | ||||||
| 教会などは改訂ユリウス暦と呼ばれる新しい暦を制 | 2)ただし,西暦年が128で割り切れる年は平年 | ||||||
| 定した。 | とすれば1年の日数は | ||||||
| 1)西暦年が4で割り切れる年は閏年 | 365+1/4-1/128=365.2421875 | ||||||
| 2)ただし西暦年が100で割り切れる年は平年 | だから実用的になる。128で割算するのは面倒だ | ||||||
| 3) ただし西暦年を900で割った余りが200また | が,128=43×2だから3回続けて4で割った時の商 | ||||||
| は600 | が偶数であれば割り切れたことになる!実際に改暦 | ||||||
| になる年は閏年。 | が行われたら…近い将来の変更は2048年は平年で | ||||||
| 1)と2)はグレゴリオ暦と同じだが,3)は違っ | 2100年は閏年となる。それ以外は現行暦と変わら | ||||||
| NAIS Journal 51 |
| ない。 | 4番目と同じになる。しかも当面変更はない。 | |||
|---|---|---|---|---|
| では131番の場合の閏 | このように現行暦よりも正確な暦はいくらでもで | |||
| 年設置法を考えてみよう。 | きるが,置閏法が複雑で使いにくくなってしまう。 | |||
| この置閏法による暦は | ||||
| 「ジャラーリー暦」でセル | 曜日はいつから | |||
| ---------------- | --- | --- | --- | --------------------- |
| ジュック朝ペルシアの詩 | 日本人はいつから日月火水木金土という曜日を | |||
| 人・数学者であるウマル・ | 使っているのだろうか? | |||
| ハイヤーム(1048-1131) | ・明治になってから欧米にならった? | |||
| によって作られた。彼は3 | ・鎖国中にオランダ商人がもたらした? | |||
| 次方程式の解法や2項定理 | ・戦国時代にやってきた宣教師が伝えた? | |||
| 図4 | ||||
| ウマル・ハイヤーム[5] | ||||
| などで先駆的な研究を行っ | いやそうではなく,もっともっと古くから曜日は | |||
| ------------------------ | --- | ------------- | --- | -------------------------- |
| ている。当時ヨーロッパは | 使われていた。七曜はヨーロッパから伝わったので | |||
| 文化の暗黒時代で文芸も自然科学もイスラム世界が | はなく,天才留学僧空海(774-835)が9世紀の初 | |||
| ずっと進んでいた。この暦で閏年8回のうち7回 | めに唐から持ち帰った『宿曜経』という占星書に書 | |||
| は4年に一度,8回目の閏年は5年に一度,となっ | かれている。藤原時代には密教行事だけでなく広く | |||
| ている。すなわち閏年は第 | 4,8,12,16,20, | 貴族間で使われていたようだ。藤原道長自筆の日記 | ||
| 24,28年と第33年である。このような変則的な | 『御堂関白記』には,長保六年二月十九日(=1004 | |||
| 閏年が頻繁にやってくることになり,あまり普及せ | 年3月12日)に藤原道長は84歳の安倍晴明を伴っ | |||
| ずやがて使われなくなった。 | て,新しく作る法華三昧堂の土地探しに木幡(京都 | |||
| ところが33年間に西暦年が3で割り切れる年は | 府宇治市)に行き,その日は癸酉の日曜日というこ | |||
| 11回,9で割り切れる年は3回あるから | とが記されている[6]。日曜だから朝廷は休みとい | |||
| 1)西暦年が3で割り切れる年は閏年 | うわけではないが。この日が日曜であることは,実 | |||
| 2)ただし,西暦年が9で割り切れる年は平年 | 際に計算して確認される[4]。『御堂関白記』は陰陽 | |||
| とすればよさそうだ。3で割り切れるとは各位の数 | 師の作った「具注暦」という暦に道長自身が書き込 | |||
| 値の和が3で割り切れること,9についても同様だ | んだもので,そこには干支・二十四節気・吉凶の占 | |||
| からすぐに計算できる。このルールによると2019 | いはもちろん,日・月・火・水・木・金・土までが | |||
| 年,2022年は閏年になる。 | 書いてある。『宿曜経』にはまた白羊(おひつじ), | |||
| しかし1)と2)だけでは短期間しか使えないの | 青牛(おうし),陰陽(ふたご),巨蟹(かに),獅 | |||
| で「5の倍数年は閏年」として99年に2回ほど閏年 | 子(しし),小女(おとめ),秤量(てんびん),蝎 | |||
| を加えると1年は365+1/3-1/9+2/99=365.242424242 虫(さそり),人馬(いて),磨羯(やぎ),宝瓶(み | ||||
| となる。 | ずがめ),雙魚(うお)という十二宮も載っていて, | |||
| ---- | --- | --- | --- | ------------------------ |
| これらを使って宿曜師は星占いをしていたようだ。 | ||||
| 表4 ジャラーリー暦に基づく閏年 | 鎌倉時代の史料として,承元四年=1210年およ | |||
| ------------------- | --------- | --------- | ---- | ------------------------ |
| 9の倍数で 平年 5の倍数で 閏年 | び正和四年=1315年の「具注暦」を京都大学宇宙 | |||
| 2001 2004 | 2007 2010 | 2013 2016 | 2019 | 物理学教室図書室で見ることができる(図5)。日 |
| 2022 2025 | 2028 2031 | 2034 2037 | 2040 | 曜日に「密」という字が書かれているのはソグド語 |
| のミールに由来するものと言われている。また南北 | ||||
| 2043 2046 | 2049 2052 | 2055 2058 | 2061 | |
| --------- | --------- | --------- | ---- | --- |
| 朝時代の康永四年=1345年の「仮名暦」は栃木県 | ||||
| 2064 2067 | 2070 2073 | 2076 2079 | 2082 | |
| --------- | --------- | --------- | ---- | --- |
| 荘厳寺に保存されている[4]。江戸時代にはわが国 | ||||
| 2085 2088 | 2091 2094 | 2097 | 初の暦を作った渋川春海(1639-1715)の署名のあ | |
| --------- | --------- | ---- | --- | --------------------------- |
| る貞享五年=1688年の具注暦,また大和国だけで | ||||
| 最も簡単な改定法はグレゴリオ暦のルールにもう | 使われていた文化十年=1813年の「南都暦」など | |||
| ---------------------- | ----------------------------- | --- | --- | ------------------------ |
| 1項目付け加えることである。 | があり[7],これらに記載されている曜日はすべて | |||
| 4)ただし西暦が3200で割り切れる年は平年 | 現在の曜日に連続している。 | |||
| すると | 年=365.2425-1/3200=365.2421875 | 日, | 曜日がどこで初めて使われたか定説はないようだ | |
| 1 | ||||
| 52 NAIS Journal |
残っている。中国はかつて日本や朝鮮と同じ天体名 を使っていたが(ただしあまり普及しなかった), 20世紀になってから番号に変えたそうだ。曜日の 起こりは聖書の創世記の記述「神は6日でこの世 を創造し7日目は休んだ。」ことによると言われる のは後世の挿話のようである。 さて曜日の順 序はどのように 決められたの か? 7 天 体 の 明るい順でも近 い順でもなさそ うだ。これにつ い て は 200 年 頃,ローマの元 老院議員・執政 官を務めたカシウスが著わした『ローマ史』に次の ような興味深い記述がある[8]。当時すでに太陽・ 月・五惑星の遠近の順序は回帰周期から知られてい た。その周期は月では約27日,土星では約30年, 遠い天体ほどゆっくり運動するので周期は長いとい うわけだ。そこで遠い順に「土木火日金水月」と左 図5 承元四年八月(1210年9月)の具注暦の一部。上段 から書き並べて,24で改行するということを何回 に曜日が朱書されている。(京都大学宇宙物理学教室) か繰り返し,上から読んでみると,「日月火水木金土」 が,ヘレニズム時代に当時世界最大の都市アレキサ の順になるではないか![5],[6]。実は24でなくて ンドリアにて天体名で使われ始め,そこから各地に も7で割って3余る数なら何でもよく,最も簡単 広まったと言われている。西方(ヨーロッパ)では な数は10だから実際に試してみてください。 キリスト教その他さまざまな宗教に影響され,何回 か名前が変わったが,東方には原型のまま伝わり, 東アジアでは今も日・月・五惑星の名前がそのまま 図6 曜日の伝搬 NAIS Journal 53
とし,残りの5日(閏年は6日)は月と月の間の 世界各国の曜日名(表6) どの月にも属さない休日とする。七曜制は廃止され, 英語では日曜・月曜・土曜は天体名,火曜から金曜まで 5日(後に6日)周期の週が採用された。しかしや は北欧神話の神々の名が付けられている。 はり徹底せず国民には不評で,スターリンもやむな Tuesdayは軍神テュールの日,Wednesdayは最高神オー ディンの日,Thursdayは雷と農耕の神トールの日, くグレゴリオ暦+七曜を復活させた。やはり私たち Fridayは美と愛の女神フレイアの日であり,ドイツ・オ の生活には7日周期が合っているようだ。[9] ランダ・ノルウェー・スウェーデン語など北欧では一般 にそうだ。一方,フランス・スペイン・イタリア語など ラテン系では日曜(主の日)と土曜(安息日)はキリス 干 支 ト教にちなむ名前で,他は天体名である。フランス語の あなたは自分の干支は当然知っていますね。年齢 lundi,mardi,mercredi,jeudi,vendrediはそれぞれ を数ではなくて十二支で言うこともよくある。十二 月ルナ(ダイアナ),火星マルス,水星メルクリウス(マー キュリ),木星ジュピター(ゼウス),金星ビーナスに由 支の求め方は西暦年を12で割った余りが0なら申 来している。 (さる),1なら酉(とり)……11なら未(ひつじ) 中国やイスラム系諸国(インドネシアからアフリカまで) というように求めることができる。 では一般に1, 2, 3…と番号が付けられているし,またス ラブ系ではいろいろな要素が混入されている。 十干はあまりなじみがないようだが,年を10で すべてに天体名を使っているのはインド・タイ・日本・ 割った余り,すなわち年の1の位の数で決まる。そ 韓国など東アジア諸国で,古代ギリシアがそうである[8], の数が0なら庚(かのえ),1なら辛(かのと)…9 [9]ことは興味深い。 Helios, Selenes, Areos, Hermeos, Dios, Aphrodites, なら己(つちのと)と。戊「つちのえ」と戌「いぬ」, Kronosは太陽,月,火星,水星,木星,金星,土星の 己「つちのと」と巳「み:へび」の字は間違いやす 神でありまた天体を表している。 いのでご注意を。2022を10で割ると余りは2だ から十干では壬,また12で割ると6余るから十二 かつてフランス革命政府は,カトリック色の強い 支では寅,すなわち2022年の干支は壬寅(みずの グレゴリオ暦を廃止して新たに革命暦を制定した えとら)である。翌年2023年は干支とも1つ進む (1793年)。この暦法では,1年は365日で,1年 ので癸卯(みずのとう),2026年は丙午(ひのえう は12か月,すべての月は30日で,余った5日(閏 ま)となる。干支は10と12の最小公倍数である 年は6日)は年の終わりに置いて休日としていた。 60を周期として繰り返される。 さらに従来の週( semaine) と七曜を廃止して1か 月を10日ずつ3つのデカード(décade。週・旬と 中国では干支の使用は非常に古く殷の時代の甲骨 も訳す)に分け,暦だけでなく時間の単位も変更し 文字にも記されていた。史記漢書にはもちろん,紀 た。フランス革命暦では,1週は10日,1日は10 元前11世紀の青銅器の文字にも干支を読み取るこ 時間,1時間は100分,1分は100秒とすべて十進 法が使われた(十進化時間)。曜日の名前はカトリッ クとは無関係に番号となり月の名前は文学的な名が 付けられた。さらに年初は共和制宣言の行われた 1792年9月22日と定められた。過大に合理性を 追求しこれまでの生活習慣と大きく異なるもので あった。同時期に考案されたメートル法は十進法を 採用して,正式な単位として普及したが,この暦は 七曜に慣れた国民の間では不評だった。1802年3 月31日より七曜が復活し,さらにナポレオンが皇 帝となった2年後,共和暦14年雪月10日の翌日 を1806年1月1日として革命暦は廃止され,元の グレゴリオ暦に戻ったという。 ロシア革命の後も1929年から1940年まで「ソ ビエト連邦暦」が施行された。フランス革命暦にな らって1月から12月までのすべての日数を30日 図7 干支と方位 54 NAIS Journal
表5 干支 行暦に変換すると6月10日で時の記念日になって
| 十 干 | 十二支 | 方位 | 時刻 | いる。 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 0 | 庚 かのえ | 申 さる | 16 | ||||||
| 歴史的に有名な事件には,干支がつけられている | |||||||||
| 1 | 辛 かのと | 酉 とり | 西 | 18 | |||||
| --- | ----- | ---- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| ものが少なくない。志賀の都が滅びた壬申の乱は | |||||||||
| 壬 みずのえ | 戌 いぬ | ||||||||
| --- | ------ | ---- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 2 | 20 | ||||||||
| 672年に,清朝滅亡の源となった辛亥革命は1911 | |||||||||
| 3 | 癸 みずのと | 亥 ゐ | 22 | ||||||
| --- | ------ | ---- | --- | --- | ----------------------- | --- | --- | --- | --- |
| 4 | 甲 きのえ | 子 ね | 北 | 0 | 年に起こった。高校野球のメッカである甲子園球場 | ||||
| 5 | 乙 きのと | 丑 うし | 2 | ||||||
| は1924年に作られた。10で割っても12で割って | |||||||||
| 6 | 丙 ひのえ | 寅 とら | 4 | ||||||
| --- | ----- | ---- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| も余りが1(すなわち60で割って余りが1)であ | |||||||||
| 丁 ひのと | 卯 う | 東 | |||||||
| --- | ----- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 7 | 6 | ||||||||
| る年は辛酉(かのととり:しんゆう)となり,この | |||||||||
| 8 | 戊 つちのえ | 辰 たつ | 8 | ||||||
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| 年は重要な始まりの年であると言われていた。辛酉 | |||||||||
| 9 | 己 つちのと | 巳 み | 10 | ||||||
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| 10 | 午 うま | 南 | 12 | ||||||
| の年には王朝が交代する(辛酉革命)という思想が | |||||||||
| 11 | 未 ひつじ | 14 | |||||||
| --- | --- | ----- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| あり,推古天皇九年(601年)より1260(=60× | |||||||||
| 7×3)年前の辛酉の年であるBC660年が神武天 | |||||||||
| とができる。殷周の戦いはBC1047年の初冬に始 | 皇即位の年と定められたと言われている。最近の辛 | ||||||||
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| まり,最終戦である牧野(ぼくや)の戦いは甲子の | 酉の年は1981年だった。 | ||||||||
| 日に行われたそうである。それはいつ?BC1046 | また60年経って干支が戻ってくることを還暦と | ||||||||
| 年の甲子の日は1月20日,3月21日…と6回あ | 言い,60歳の誕生日に赤ん坊に戻ったとして赤い | ||||||||
| るが,『漢書』の記載では明らかに冬だから1月20 | ちゃんちゃんこでお祝いしているが,現在では寿命 | ||||||||
| 日が最有力だ。さらに武王が天子の位に就いたのは | が延びて60歳はまだ元気(生臭い)なので還暦祝 | ||||||||
| 辛亥の日と言われ同年3月8日となる[10]。わが | いを嫌がる人も少なくないようだ。 | ||||||||
| 国では埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に「獲 | 干支は年だけでなく日にもつけられ,十干名は | ||||||||
| 加多支鹵(わかたける)大王」と「辛亥年七月」の | 10日周期で,十二支名は12日周期で繰り返される。 | ||||||||
| 記載があることから,これは「雄略天皇時代の471 | 60日経つと同じ干支となる。2021年2月22日, | ||||||||
| 年」とする説が有力である。飛鳥時代には公文書に 4 月 23 日,6 月 22 日,8 月 21 日,10 月 20 日, | |||||||||
| 干支が記入されていた。 | 12月19日は辛丑の年の辛丑の日だったが,1年後 | ||||||||
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| 2022年のこれらの日の干支は何でしょう?365は | |||||||||
| 『日本書紀』天智天皇十年に近江京で水時計が作 | 10で割っても12で割っても余りは5だから,干も | ||||||||
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| られ,人民に時を知らせたことが載っている。 | 支もそれぞれ5ほど進み丙午となる。 | ||||||||
| 天智十年夏四月丁卯朔辛卯,置漏剋於新臺,始打 | |||||||||
| 候時動鍾鼓,始用漏剋。[11] | 十二支は方位を表す時にも使われる。子丑寅… | ||||||||
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| 亥を時計回りに環状に並べ北を子,東を卯,南を午, | |||||||||
| 四月丁卯朔辛卯とは四月一日の干支が丁卯で,水 | 西を酉の方位と定めた。それらの中間の北東は艮(う | ||||||||
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| 時計が作られた日の干支は辛卯である。この日を現 | しとら),南東は巽(たつみ),南西は坤(ひつじさ | ||||||||
| 表6 世界各国の曜日名 | 天体 キリスト教 北欧神話 | ||||||||
| 日本語 | フランス語 | 英語 | 中国語 | 韓国語 | サンスリット | ヒンディ | 古ギリシア | 古ラテン | |
| 日 dimanche主の日 Sunday太陽 星期日 일 イル Bhaanu Ravivar Helios Solis dies | |||||||||
| 月 | lundi月 | Monday月 | 星期一 | 월ウォル | |||||
| --- | ------ | --- | ------- | --- | ---- | ---- | ------- | ------- | ----- |
| Indu | Somavar | Selenes | Lunae | ||||||
| 火 mardi火星 Tuesdayティル 星期二 화 ファ Bhauma Mangalavar Areos Martis | |||||||||
| Wednesday | |||||||||
| 水 | mercredi水星 | 星期三 | 수 ス | Saumya | Budhavar | Hermeos | Mercoris | ||
| --- | ---------- | --- | --- | --- | --- | ------ | -------- | ------- | -------- |
| オーディン | |||||||||
| 木 | jeudi木星 | Thursdayトール | 星期四 | 목 モク | Guru | Guruvar | Dios | Jovis | |
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| 金 vendredi金星 Fridayフレイア 星期五 금 クン Bhrgu Shukravar Aphrodites Veneris | |||||||||
| 土 samedi安息日 Saturday土星 星期六 토 トゥ Sthira Shanivar Kronos Saturni | |||||||||
| NAIS Journal 55 |
る),北西は乾(いぬゐ)である。乾御門は実際に 御所の北西にあるし,「わが庵は都の巽しかぞ棲む …」という『百人一首』の喜撰法師の歌は都の東南 である宇治に住んでいることを表している。地球面 で北極南極を結ぶ線また天球面上で天の北極南極を 結ぶ線を「子午線」と言っている。 また時刻表記にも使われ,丑の刻とは1時から3 時までの2時間である。それを丑の一刻,丑の二刻, 丑の三刻(丑の正刻),丑の四刻と分けるので「丑 三つ時」とは2時ころだ。ただし時刻ではなく2 時から2時半までの時間という説もあるそうだ。午 前,正午,午後は言うまでもなく午の正刻を基準に 図8 黄経 している。十二獣は国によって多少違っている。特
| に多くの国で亥は豚だそうである。 | のが太陽黄経λである。二十四節気のうちλが90 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 十干は五行説に由来し,5元素,木(もく,き)・ | の倍数になるものが春分,夏至,秋分,冬至で二分 | ||||||
| 火(か,ひ)・土(と,つち)・金(こん,か)・水(す | 二至と言われる。二分二至の中間に立夏立秋立冬立 | ||||||
| い,みず)を兄(え)と弟(と)に分けて10種と | 春があり,その前日を節分と言う。現在では立春の | ||||||
| した。「甲(きのえ)」は「木の兄」,「乙(きのと)」 | 前日のみを指すようになっているが,本来は1年 | ||||||
| は「木の弟」のことである。現在ではものの階級・ | に4回節分があるのだ。宮中では飛鳥時代から悪 | ||||||
| 等級・種類・成績を示すとき,また契約書などにお | 霊払いの行事が行われていた。豆まきは室町時代か | ||||||
| ける両者の名称として使われている。優劣がつけに | ら始まったらしく,江戸時代に庶民の間にも広まっ | ||||||
| くい時「甲乙つけがたい」という慣用句があります | た。現在,節分会は全国の多くの神社寺院で行われ | ||||||
| ね。 | ているが,吉田神社(京都市),浅草寺(東京都), | ||||||
| 新勝寺(成田市)などは特に有名である。関西では | |||||||
| 二十四節気とは | 毎年の恵方を向いて無言で巻寿司を丸かじりで食べ | ||||||
| ------------------------ | --------------- | --- | ------------------------ | --- | ------ | --------- | --- |
| 暦を見ると年間ほぼ15日おきに季節感溢れる名 | る習慣があるが,その起源・意義について筆者は知 | ||||||
| 前がついた「二十四節気」というものが目につく(表 | らない。λが30の倍数になるものは中,そうでな | ||||||
| 7)。「清明」とは清らかに晴れ渡った天空と百花が | いものは節と言われる。 | ||||||
| 咲き競う大地を満喫できる4月5日ころ,また「霜 | 地球は太陽を焦点とする楕円上を公転運動してい | ||||||
| 降」とは北国や山間部では,霜が降りて朝には草木 | るが,その速度は一定ではなく毎年1月5日ころ | ||||||
| が白く化粧し始める | 10 月 23 日ころである。 | 近日点(太陽から約1.47億km)を,また7月4 | |||||
| 二十四節気は中国で太陽の運行に基づいて作られ, | 日ころ遠日点(約 | 1.52 億 | km)を通過する。 | ||||
| 太陰太陽暦と併用され | 二十四節気の間隔は一定ではなく,その日は毎年± | ||||||
| 表7 二十四節気 | |||||||
| てきた。もっとも最近 | 2日の範囲で変わり,実際に計算するにはλを表す | ||||||
| ------------ | ----- | ------ | ---------------------------------- | ----- | ------- | ----- | ----- |
| は温暖化のせいで,「小 | 節気 黄経 | 節気 黄経 | 式が必要だ。太陽は365.2422日で天球上を360度 | ||||
| 雪」「大雪」など時節 | 春分 0 | 秋分 180 | 移 動 | す る か | ら 1 日 に | つ い て | は 平 均 |
| 清明 15 | 寒露 195 | ||||||
| に合わなくなったもの | 365.2422/360=0.985647332度,したがって春分か | ||||||
| 穀雨 30 | 霜降 210 | ||||||
| もあるが。 | らt日後のλは | ||||||
| 立夏 45 | 立冬 225 | ||||||
| 図 8 の A,B,C, | λ=0.985647332・t | ||||||
| 小満 60 | 小雪 240 | ||||||
| Dはそれぞれ春分・夏 | 芒種 | 大雪 | となりそうだが,地球は等速円運動をしているわけ | ||||
| 75 255 | |||||||
| 夏至 90 | 冬至 270 | ||||||
| ---------- | ------ | ------ | ----------------------- | --- | --- | --- | --- |
| 至・秋分・冬至におけ | ではないので,λの時間変化はもっと複雑である。 | ||||||
| 小暑 105 | 小寒 285 | ||||||
| る地球の位置を表す。 | 海上保安庁発行の『天体位置表』にtの3次と | ||||||
| 大暑 | 大寒 | ||||||
| 120 300 | |||||||
| 地球・太陽・春分点(A) | sin,cosを含む式が載っており,春分からの経過日 | ||||||
| ------------ | ------ | ------ | -------------------------- | --- | --- | --- | --- |
| 立秋 135 | 立春 315 | ||||||
| のなす角度を左回り | 数tを求めるためにはこの非線形方程式を解かねば | ||||||
| 処暑 150 | 雨水 330 | ||||||
| (反時計)に測ったも | 白露 165 | 啓蟄 345 | ならない。二十四節気は古代中国で発案されわが国 | ||||
| 56 NAIS Journal |
表8 京都における春分の日の出日の入り でも古くから使われてきた。そのためよく旧暦の用 緯度: 35.0167° 経度: 135.7500° 標高: 0.0 m 語と誤解されるが,実はケプラーの法則に基づく地
| 方位 | 高度 | 方位 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 球の公転運動から算出されるものなのである。 | 年月日 | 出 | 南中 | 入り | |||
| [°] | [°] | [°] | |||||
| 秋分,冬至は平年ではそれぞれ9月23日,12月 | |||||||
| 2022/03/15 | 6:08 92.2 | 12:06:01 | 52.8 18:04 | 268.1 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| 22日だが,閏年ではその前日になる。夏至は閏年 | |||||||
| 2022/03/16 | 6:07 91.7 | 12:05:44 | 53.2 18:05 | 268.5 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| の前年では6月22日で他は21日だ。また春分は 2022/03/17 6:06 91.2 12:05:27 53.6 18:06 269.0 | |||||||
| 閏年とその翌年は3月20日,他は21日である。 2022/03/18 6:04 90.7 12:05:09 54.0 18:07 269.5 | |||||||
| 2022/03/19 | 6:03 90.3 | 12:04:52 | 54.4 18:08 | 270.0 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| お彼岸 | 2022/03/20 | 6:01 89.8 | 12:04:34 | 54.8 18:08 | 270.5 | ||
| 昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われて,秋分 2022/03/21 6:00 89.3 12:04:16 55.2 18:09 271.0 | |||||||
| 2022/03/22 | 5:59 88.8 | 12:03:59 | 55.6 18:10 | 271.4 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| のころには夏の暑さも和らぎ秋の訪れを感じるころ | |||||||
| 2022/03/23 | 5:57 88.3 | 12:03:41 | 56.0 18:11 | 271.9 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| になるが,秋分の日とはどういう日なのか案外知ら | |||||||
| 2022/03/24 | 5:56 87.8 | 12:03:23 | 56.4 18:12 | 272.4 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| れていないようだ。 | |||||||
| 2022/03/25 | 5:54 87.4 | 12:03:04 | 56.8 18:12 | 272.9 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| 春分・秋分の日には | |||||||
| 2022/03/26 | 5:53 86.9 | 12:02:46 | 57.2 18:13 | 273.4 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| 1)昼と夜の長さが同じになる | |||||||
| 2022/03/27 | 5:52 86.4 | 12:02:28 | 57.5 18:14 | 273.8 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| 2)太陽は真東から昇り,真西に沈む | |||||||
| 2022/03/28 | 5:50 85.9 | 12:02:10 | 57.9 18:15 | 274.3 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| 3)春分秋分の日の決定は国立天文台で行われる | |||||||
| 2022/03/29 | 5:49 85.5 | 12:01:52 | 58.3 18:16 | 274.8 | |||
| --- | --- | --- | ---------- | --------- | -------- | ---------- | ----- |
| 厳密にはこれらはすべて間違いである。 | |||||||
| 日の出日の入り時刻・方位は[13]より求まる。 | |||||||
| この原因は主として日の出入りの定義にある。日 | 2022年の春分の日前後の,京都における日の出, | ||||||
| ------------------------ | ------------------- | -------------- | ------------------------ | --- | --- | --- | --- |
| の出入りを太陽の中心でなく先端で定義すること | 日の入り時刻は表8の通りで,春分は21日だが昼 | ||||||
| で,太陽の半径の分だけ日の出は早く,日の入りは | 夜等時間になるのは春分より4日前で,日の出日 | ||||||
| 遅くなる( | 太陽の視半径は約15′~時間にして約1 | の入りが真東・真西となるのは2日前である。 | |||||
| 分)。さらに,大気の影響により地平線が浮き上がっ | では春分の日・秋分の日はどうやって決められて | ||||||
| て見える効果=地平大気差によって,日の出は早く, | いるのか?太陽が天球を1年で1周する間に,春 | ||||||
| 日の入りは遅くなる( | 地平大気差は約35′~時間に | 分点を通過する(λ=0)のは一瞬で,その瞬間を | |||||
| して2分強)。これらを合計すると,日本付近では | 含む日が春分日であり,秋分点を通過する(λ= | ||||||
| 太陽は斜めに昇ってくるので約4分の違いになる。 | 180)瞬間を含む日が秋分日である。その日付は固 | ||||||
| 日の出で約4分,日の入りで約4分昼が長くなる | 定されているわけではない。 | ||||||
| ので,合計8分ほど昼間が長い,つまり昼間は12 | 春分の日・秋分の日は国立天文台が算出した結果 | ||||||
| 時間8分となるわけだ。同じ理由で,日の出入り | に基づいて閣議で決定され,それが官報によって告 | ||||||
| 方位は真東や真西ではなくなる。 | 示されて決まる。春分日・秋分日は予め計算できる | ||||||
| 実際,太陽の中心や下端が地平線という瞬間の時 | が,春分の日・秋分の日は前年にならないと確定し | ||||||
| 刻を測ることは不可能に近い。また地球大気の屈折 | ない。 | ||||||
| のため,太陽に限らず地平線辺りのものは浮き上 | また春分日,秋分日において日の出・日の入りの | ||||||
| がって見える。したがって地平線下の太陽でも見る | 時刻は場所によって異なる。東ほど時刻は早まるの | ||||||
| ことができるわけだ。 | は容易にわかるが,方位は変わらない。 | ||||||
| 同様に夏至とは太陽が夏至点を通過する瞬間を | |||||||
| 含む日で,この瞬間太陽は最も北に位置し,したがっ | |||||||
| て太陽高度は最高で,影は最短になる。昼間の時間 | |||||||
| は夏至の前後数日は変わらない。また日の出が最も | |||||||
| 早い日は夏至の1週間前あたり,最も日の入りの | |||||||
| 遅い日は夏至の1週間後あたりだ。冬至について | |||||||
| も同じようなことが言える。 | |||||||
| 図9 日の出 国立天文台暦計算室のページより[12] | |||||||
| NAIS Journal 57 |
表9 冬至前後の日の出日の入り ら4年毎に起こっていた。最近の立春の時分は表
| 方位 | 高度 | 方位 | 10の通りで閏年の翌年は早くなっている。2013年 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年月日 | 出 | [°] | 南中 | [°] | 入り | [°] | |
| は1時13分,2017年は0時34分,2021年は前 | |||||||
| 2022/12/15 | 6:57 | 118.1 | 11:51:54 | 31.8 | 16:47 | 241.8 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| 日3日の23時59分で2022年からは2月4日に | |||||||
| 2022/12/16 | 6:58 | 118.2 | 11:52:23 | 31.7 | 16:47 | 241.8 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| なる。しかし2025年,2029年…とまた4年毎に | |||||||
| 2022/12/17 | 6:58 | 118.3 | 11:52:52 | 31.7 | 16:47 | 241.7 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| 2月3日になる。 | |||||||
| 2022/12/18 | 6:59 | 118.3 | 11:53:21 | 31.6 | 16:48 | 241.7 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | ------ |
| 2022/12/19 | 7:00 | 118.3 | 11:53:51 | 31.6 | 16:48 | 241.7 | 雑節[14] |
| 二十四節気の他に,季節の移り変わりを表す暦日 | |||||||
| 2022/12/20 | 7:00 | 118.4 | 11:54:21 | 31.6 | 16:49 | 241.6 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| として雑節と言われるものがある。「入梅:λ=80 | |||||||
| 2022/12/21 | 7:01 | 118.4 | 11:54:50 | 31.6 | 16:49 | 241.6 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| となる瞬間を含む日」や「夏の土用:λ=117の | |||||||
| 2022/12/22 | 7:01 | 118.4 | 11:55:20 | 31.6 | 16:49 | 241.6 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| 点を通過する瞬間を含む日から立秋(λ=135) 前 | |||||||
| 2022/12/23 | 7:02 | 118.4 | 11:55:50 | 31.6 | 16:50 | 241.6 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| 日まで」とλで決められる。土用とは立夏・立秋・ | |||||||
| 2022/12/24 | 7:02 | 118.4 | 11:56:20 | 31.6 | 16:51 | 241.7 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| 立冬・立春の直前約18日間(最終日が節分)だが, | |||||||
| 2022/12/25 7:03 118.3 11:56:50 31.6 16:51 241.7 通常は夏の土用を指している。暑い時期を乗り切る | |||||||
| 2022/12/26 | 7:03 | 118.3 | 11:57:20 | 31.6 | 16:52 | 241.7 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| ために栄養価の高いウナギを食べるという習慣は古 | |||||||
| 2022/12/27 7:03 118.3 11:57:50 31.7 16:52 241.8 くからあったようで万葉集に大伴家持(718-785) | |||||||
| が詠んだ歌がある。 | |||||||
| 2022/12/28 | 7:04 | 118.2 | 11:58:19 | 31.7 | 16:53 | 241.8 | |
| ---------- | ---- | ----- | -------- | ---- | ----- | ----- | --- |
| 2022/12/29 | 7:04 | 118.1 | 11:58:49 | 31.8 | 16:54 | 241.9 | |
| 石麻呂に 吾れもの申す 夏痩せに | |||||||
| 昼時間が最も短い日は冬至12月22日を挟んで3日間 | |||||||
| よしといふものぞ 鰻(むなぎ)とり食(め)せ | |||||||
| 21日から23日まで9時間48分,また太陽の南中高度 | |||||||
| が最も低い日は18日から26日まで変わらない。 | |||||||
| さらに日の入りが最も早くなる(早く日が暮れる)のは | |||||||
| 土用の丑の日に食べる習慣となったのは,平賀源 | |||||||
| 15日より前である。 | |||||||
| 内(1728-1780)が知り合いの鰻屋から鰻を何とか | |||||||
| 節分の日が変わる | 売るための相談を受け「本日丑の日」と書いて店先 | ||||||
| ------------------------ | --- | --- | --- | --- | --- | --- | ------------------------ |
| 2021年は124年ぶりに節分が2月2日になると | に貼ることを勧めたところ,その鰻屋は大変繁盛し | ||||||
| 話題になった。豆まき,鬼退治で親しまれてきた節 | たためと言われている。 | ||||||
| 分は2月3日の恒例行事と思われてきた。本来「節 | 「彼岸」とは春分の日・秋分の日を中日として前 | ||||||
| 分」には「季節を分ける」という意味があり,各季 | 3日・後3日の計7日間を指すが,元来はあちら(彼 | ||||||
| 節の始まりとされる立春,立夏,立秋,立冬の日の | 方)の岸,すなわち煩悩のない,涅槃の世界という | ||||||
| 前日を指し,年によって変わるものなのだ。 | 仏教用語である。亡くなった先祖たちの霊は「彼岸」 | ||||||
| 立春の日付は上述のように公転している地球と太 | に住んでいるということから,「彼岸に墓参り」と | ||||||
| 陽の特定の位置関係から決まるので決して2021年 | いう習慣ができた。春秋の先祖供養は西方浄土と結 | ||||||
| に地球の公転が速くなってきたわけではない。 | びつけて説明される場合が多いが,上記のことをま | ||||||
| とめて考えてみると,仏教の行事というより太陽信 | |||||||
| 表10 春分の日時 | |||||||
| 仰時代からの習慣のようにも思える。 | |||||||
| 年月日 | 時分 | 年月日 | 時分 | ||||
| -------- | --- | ----- | --- | -------- | ----- | --- | ------------------------- |
| 2009/2/4 | 1:50 | 2016/2/4 | 18:46 | なお「国民の祝日に関する法律」には春分の日は | |||
| 2010/2/4 | 7:48 | 2017/2/4 | 0:34 | 「自然をたたえ,生物をいつくしむ」,秋分の日は「祖 | |||
| 2011/2/4 | 13:33 | 2018/2/4 | 6:28 | 先をうやまい,なくなった人々をしのぶ」と書かれ | |||
| 2012/2/4 | 19:22 | 2019/2/4 | 12:14 | ている。 | |||
| 2013/2/4 | 1:13 | 2020/2/4 | 18:03 | ||||
| 八十八夜,二百十日,二百二十日などは立春から | |||||||
| 2014/2/4 | 7:03 | 2021/2/3 | 23:59 | ||||
| -------- | --- | ---- | --- | -------- | ----- | --- | --- |
| の日数なので閏年では平年より1日早まる。 | |||||||
| 2015/2/4 | 12:58 | 2022/2/4 | 5:51 | ||||
| ------------------------ | --- | ----- | --- | -------- | ---- | --- | --------------------- |
| 20世紀には春分が2月3日(節分が2月2日) | 七十二候 [15] | ||||||
| になる日はなかったが,19世紀末には1881年か | 二十四節気をさらに3分割して季節の名前を付 | ||||||
| 58 NAIS Journal |
けたもので,古風な漢字3文字または4文字で表 されている。古代中国で作られ何回か名前は改定さ れているそうで,現在の呼称は明治になってからで ある。 太陽黄経5°きざみすなわち約5日ずつ季節の言 葉を綴った暦で,いかにも東アジア農耕民族の特徴 を表している。 「玄鳥至」とはつばめが南国から渡って来る清明 図10 如月の望月 の初候4月初旬のころで,「玄鳥去」とは南国へ帰っ 2008年3月22日 (提供:宇多清夫氏) ていく秋分の少し前9月中旬のころだが,最近つ ばめは見かけなくなってきている。「蚕起食桑」や「麦 ヤマザクラはソメイヨシノより開花時期がやや早い 秋至」(ともに5月下旬)と言っても養蚕や麦作は ようだ。 ほとんど見られなくなった。 ところで さくら さくら ■ 弥生の空は 見渡すかぎり 2. 太陰太陽暦の習慣と仕組み 霞か雲か 匂いぞ出づる いざや いざや 見にゆかん 如月の桜 願はくは花の下にて春死なん この歌は明治からずっと小学校で歌われてきている その如月の望月のころ が,3月弥生に桜が満開ということに違和感はな かっただろうか?桜の花の見ごろは4月上旬で,弥 これは平安末期の歌人,西行法師(1118-1190) 生は現行暦では4月上旬~5月上旬だから桜花満 の死を願うような有名な歌である。若くしてエリー 開にちょうどいいころだ。 トコースである北面の武士となり鳥羽上皇に仕え, このような例は他にもたくさんある。「さつき晴 同僚には同じ年の平清盛(1118-1181)がいた。し れ」からは5月のさわやかな晴天のことを想い浮 かしながら,23歳で突然辞して出家し,奥州平泉 かべるが,実は皐月はまるまる梅雨の月なのである。 から四国讃岐まで諸国を旅しながら,たくさんの歌 「さつき晴れ」とは鬱陶しい梅雨の合間の晴れの日 を残した。もっとも出家と言っても山寺に隠棲した を表した言葉である。「五月雨」とはまさに梅雨で のではなく,勅撰集に200首以上も歌を出していて, ある。梅雨が明けた後のからりとした夏は水無月で 公家との付き合いは続いていたようである。また, ある。水がない6月なんて変ですね。残暑厳しい9 鎌倉に行って源頼朝に会ったり,晩年は源平合戦で 月9日重陽の節供には菊の花はまだ蕾も出ていな 焼けた東大寺再建の勧進をしたり,浮世との縁はむ い。12月になると学期末で先生は忙しいとか言わ しろ深まっている。 れたものだが,これも1ヶ月ズレている。師走と 上記の歌は「同じ死ぬならお釈迦様の命日といわ れる如月の望月に」と願って詠んだ歌で,実際に亡 くなったのは翌二月十六日だったそうだ。ところで 「如月の望月(=二月十五日)」の時節に咲く花とは 何だろう。西行がこよなく愛した花は桜と言われて いるが,2月中旬では桜も桃もまだ早過ぎ,やっと 梅が咲き出したころだ。如月の望月は現行暦では3 月下旬にあたり1190年の場合3月22日である。 近年は温暖化のせいで,3月のうちに桜が咲くよう になって2008年3月23日(如月十六日)に京都 ではすでに桜が咲いていたが。もっとも当時の桜は 図11 桜とめじろ 2008年3月23日京都にて 「ヤマザクラ」で現在の「ソメイヨシノ」ではない。 (提供:Chappy氏) NAIS Journal 59
| は現在で言うと1月中旬~2月中旬で,それこそ | 仙台七夕祭りは特に有名である。旧暦を現行暦に換 | |||
|---|---|---|---|---|
| 生徒の進路,入試結果の明暗などで最も忙しいころ | 算するのは非常に煩雑な計算を要する(後述)。 | |||
| かもしれない。赤穂浪士事件では松の廊下事件の起 | 国立天文台では,2001年から二十四節気の処暑 | |||
| こった元禄十四年三月十四日は現行暦では4月21 | (しょしょ)の直前の新月の時刻を含む日(その日 | |||
| 日,また討ち入りは元禄十五年十二月十四日で, | が旧7月1日)から数えて7日目を「伝統的七夕 | |||
| 1703年1月30日のことだ。毎年12月14日に忠 | の日」としている。処暑については前節を参照され | |||
| 臣蔵関連のTV放映があるが,本来この日とは無関 | たい。これより七夕の日を算出すると2006年の七 | |||
| 係だ。討ち入りの夜は大雪の後で月が明るかったそ | 夕は7月だったが,通常は8月中旬となる。その | |||
| うだが,1年で最も寒いころで,満月の前夜という | 頃には,梅雨も上がって天候も安定しているし,七 | |||
| のも理解できる。 | 夕の織姫星も彦星も天高く眺めやすいところにやっ | |||
| てくる。 | ||||
| 表11 月の別称 | ||||
| 月の別名 | 二十四節気中 | 中秋の名月 | ||
| --- | ---- | ------ | --- | ------- |
| 名月や 池をめぐりて 夜もすがら 芭蕉 | ||||
| 一月 睦月 むつき | 孟春 雨水 | 七草の節供 | ||
| ---------- | --- | ----- | ----- | --- |
| 名月を 取ってくれろと なく子かな 一茶 | ||||
| 二月 如月 きさらぎ | 仲春 春分 | |||
| ----------- | --- | ----- | ---- | --- |
| 三月 弥生 やよい | 李春 穀雨 | 桃の節供 | ||
| わが国には,名月満月をもとに作られ親しまれて | ||||
| 四月 卯月 うづき | 孟夏 小満 | |||
| ---------- | --- | ----- | --- | --- |
| きた文学作品がたくさんある。誰もが知っているこ | ||||
| 五月 皐月 さつき | 仲夏 夏至 | 端午の節供 | ||
| ---------- | --- | ----- | ----- | --- |
| れらの俳句のほかに,古くは『万葉集』や『百人一 | ||||
| 六月 水無月 みなづき | 李夏 大暑 | |||
| ----------- | --- | ----- | --- | --- |
| 首』の中の和歌や,十五夜がフィナーレである『竹 | ||||
| 七月 文月 ふみつき | 孟秋 処暑 | 七夕の節供 | ||
| ----------- | --- | ----- | ----- | --- |
| 取物語』などなど…。 | ||||
| 八月 葉月 はづき | 仲秋 秋分 | 名月 | ||
| ---------- | --- | ----- | --- | --- |
| 毎月の満月の中でも秋の中頃は空気が澄んでい | ||||
| 九月 長月 ながつき | 李秋 霜降 | 重陽の節供 | ||
| ----------- | --- | ----- | ----- | --- |
| て,最も美しい満月が見られるので,平安時代初期 | ||||
| 十月 神無月 かんなづき | 孟冬 小雪 | |||
| ------------ | --- | ----- | --- | --- |
| に,八月十五日(旧暦)に月を眺めながら宴会をす | ||||
| 十一月 霜月 しもつき | 仲冬 冬至 | る風習ができた。これは観月宴とか月の宴と呼ばれ, | ||
| ------------ | --- | ----- | --- | ------------------------ |
| 十二月 師走 しはす | 李冬 大寒 | |||
| 公家たちは月を見ながら即興で和歌を詠み,その出 | ||||
| 来ばえをみんなで評価しあって酒を飲み交わした。 | ||||
| 七 夕 | 藤原道長(966-1028)も | |||
| --- | --- | --- | --- | --------------- |
| ささの葉 さらさら…… | ||||
| 短冊に願い事を書いてお祭りする七夕は天の川を | この世をばわが世とぞ思ふ望月の | |||
| ----------------------- | --- | --- | --- | ---------------- |
| はさんで離ればなれに暮らしている織姫と牽牛が年 | 欠けたることもなしと思へば | |||
| に一度出会える夜と言われ,中国では漢の時代から, | ||||
| 日本では奈良時代から朝廷の伝統行事だった。昔か | という傲慢な歌を詠んでいる。これも満月を観賞し | |||
| ----------------------- | --- | --- | --- | --------------------------- |
| ら七夕に関する歌は少なくない。[16] | て作った歌だが,藤原実資(957-1046)の日記『小 | |||
| 右記』によると,この歌が詠まれたのは寛仁二年十 | ||||
| 彦星の行き逢ひを待つかささぎの | 月十六日(1018年11月26日)だそうで,実は十 | |||
| ------------------- | --- | --- | --- | ------------------------- |
| わたせる橋を我にかさなむ・・菅原道真 | 月の十六夜月だった。ちょっと寒いお月見だけど。 | |||
| 思ひやる心もすずし彦星の | 庶民がお月見をするようになったのは江戸時代に | |||
| つままつ宵のあまの川風・・藤原清輔 | なってからで,月の見える所にすすきを飾り,月見 | |||
| 団子,里芋,枝豆などを盛り,お神酒を供えるよう | ||||
| このような歌が詠まれたのは夏ではなく秋であ | になった。旧暦の15日,16日,17日,18日の月 | |||
| ------------------------ | --- | --- | --- | ------------------------- |
| る。7月7日は梅雨の末期集中豪雨のころで,なか | のことをそれぞれ「もちづき」「いざよい」「立ち待 | |||
| なか星も見えない。実際ほとんど毎年曇っている。 | ち」「居待ち」と呼んでいる。8月の望月を「中秋 | |||
| 七夕祭は本来旧暦で行われるもので,今でも旧暦の | の名月」と呼んでいるが,この月は必ずしも満月で | |||
| 7月7日に近い8月7日に行っているところが多く, | はない。2022年の場合,旧暦八月十五日は9月10 | |||
| 60 NAIS Journal |
表12 名月と満月[17] 日にあたる。一方,満月とは「月が地球から見て太
| 陽の反対側に来た瞬間」で,それは日本標準時で | 年 月日 | 満月時刻 | 備考 旧七夕 | 旧正月 |
|---|---|---|---|---|
| 10日 18時59分に起こる。名月と満月の日の月と | ||||
| 10/02 | ||||
| 2001 10月1日 | 満月前 8月25日 | 2月14日 | ||
| ------------------------ | ---------- | ------ | --------- | ----- |
| を見比べてみてどちらがより丸いだろうか。2001 | 22:49 | |||
| 年から2023年までの旧暦八月十五日と満月という | 09/21 | |||
| 2002 9月21日 | ◎ 8月15日 | 2月14日 | ||
| 22:59 | ||||
| 瞬間を含む日,旧七夕,旧正月は表12の通りで, | ||||
| 09/11 | ||||
| 中秋の名月を眺める時は満月になる前ということが | 2003 9月11日 | 満月後 8月04日 | 2月14日 | |
| ----------------------- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 01:36 | ||||
| 多い,すなわち満月は十五夜ではなく十六夜のこと | ||||
| 09/28 | ||||
| 2004 9月28日 | ◎ 8月22日 | 2月14日 | ||
| --- | ---------- | --- | ------- | ----- |
| が多いのである。 | ||||
| 22:09 | ||||
| ところで「中秋の名月」と「仲秋の名月」とはど | ||||
| 09/18 | ||||
| 2005 9月18日 | 満月後 8月11日 | 2月14日 | ||
| --- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 11:01 | ||||
| う違うのだろうか?表11のように旧暦では七月八 | ||||
| 月九月が秋で,その真ん中の八月を「仲秋」と言っ | 10/07 | |||
| ----------------------- | ---------- | ------ | --------- | ----- |
| 2006 10月6日 | 満月前 7月31日 | 2月14日 | ||
| 12:13 | ||||
| ていた。七月は「孟秋」,九月は「季秋」と言われる。 | ||||
| 09/27 | ||||
| 春夏冬も同じように表現される。一方「中秋」とは | 2007 9月25日 | 満月前 8月19日 | 2月14日 | |
| ----------------------- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 04:45 | ||||
| 秋の真ん中の日,八月十五日のことである。だから | ||||
| 09/15 | ||||
| 2008 9月14日 | 満月前 8月07日 | 2月14日 | ||
| ----------------------- | ---------- | ------ | --------- | ----- |
| 「ちゅうしゅうの名月」には「仲秋」より「中秋」 | 18:13 | |||
| の方がふさわしいと言える。もっとも実際には両方 | 10/04 | |||
| 2009 10月3日 | 満月前 8月26日 | 2月14日 | ||
| 混同されて使われている。 | 15:10 | |||
| 09/23 | ||||
| 2010 9月22日 | 満月前 8月16日 | 2月14日 | ||
| --- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 18:17 | ||||
| 月の運動 | ||||
| 09/12 | ||||
| 月の運動は地球の周りを回っているだけと思いが | 2011 9月12日 | ◎ 8月06日 | 2月3日 | |
| ---------------------- | ---------- | --- | ------- | ---- |
| 18:27 | ||||
| ちだが,実はそれほど単純ではない。軌道は扁平で | ||||
| 09/30 | ||||
| 2012 9月30日 | ◎ 8月24日 | 1月23日 | ||
| ---------------------- | ---------- | ----- | ------- | ----- |
| 地球から最も離れる時と最も近づく時の距離差は | 12:19 | |||
| 5%もある。地球―月の距離は絶えず変動している | ||||
| 09/19 | ||||
| 2013 9月17日 | 満月前 8月13日 | 2月10日 | ||
| ----------------------- | ---------- | ----- | --------- | ----- |
| し,また軌道面は地球の公転軌道(黄道)と約5度 | 20:13 | |||
| 09/09 | ||||
| 傾いている。月の公転軌道面はこの傾きを保ったま | 2014 9月08日 | 満月前 8月02日 | 1月31日 | |
| ----------------------- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 10:38 | ||||
| ま,約18.6年の周期で,公転運動とは逆方向に回 | ||||
| 09/28 | ||||
| 転している。 | 2015 9月27日 | 満月前 8月20日 | 2月19日 | |
| ------ | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 11:51 | ||||
| 満ち欠けの周期すなわち朔望周期は平均は約 | ||||
| 09/17 | ||||
| 2016 9月15日 | 満月前 8月09日 | 2月8日 | ||
| --- | ---------- | --- | --------- | ---- |
| 04:05 | ||||
| 10/06 | ||||
| 2017 10月4日 | 満月前 8月28日 | 1月28日 | ||
| --- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 03:40 | ||||
| 09/25 | ||||
| 2018 9月24日 | 満月前 8月17日 | 2月16日 | ||
| --- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 11:52 | ||||
| 09/14 | ||||
| 2019 9月13日 | 満月前 8月07日 | 2月5日 | ||
| --- | ---------- | --- | --------- | ---- |
| 13:33 | ||||
| 10/02 | ||||
| 2020 10月1日 | 満月前 8月25日 | 1月25日 | ||
| --- | ---------- | --- | --------- | ----- |
| 06:05 | ||||
| 9/21 | ||||
| 2021 9月21日 | ◎ 8月14日 | 2月12日 | ||
| --- | ---------- | --- | ------- | ----- |
| 8:55 | ||||
| 9/10 | ||||
| 2022 9月10日 | ◎ 8月4日 | 2月1日 | ||
| --- | ---------- | --- | ------ | ---- |
| 18:59 | ||||
| 9/29 | ||||
| 2023 9月29日 | ◎ 8月22日 | 1月22日 | ||
| --- | ---------- | --- | ------- | ----- |
| 18:58 | ||||
| 図12 2007年の満月前後3夜の月 | ||||
| 上 十五夜(中秋の名月)9月25日19:01 | ||||
| 中 十六夜 9月26日19:05 (最も丸い) | ||||
| 下 十七夜 9月27日19:32 | ||||
| NAIS Journal 61 |
海水の干満を起こす力で,2つの天体が近接してい る時には,Bを引き裂く力にもなりえる。 Aを月,Bを地球と考えると,地球は月によって 両側に引かれることとなるが,その影響を最も受け るのは地表を流動する海水である。そのような状態 で地球は1日に1自転するので,地球のある地点 では1日に2回潮の干満が見られることになる。 この際,海水と海底の間には摩擦が生じ,それは地 球の自転を遅らせるよう働く。その結果地球の自転 は遅くなり,月は地球から離れていき(現在1年 間につき3.8cm),最終的には地球の自転周期=月 の公転周期~52日になるまで続く。その時には月 図13 朔望周期と公転周期 と地球の距離は約53万kmとなり,皆既日食は見 られなくなってしまう。もっともそれは数十億年先 29.530589 日だが29.3~29.8日で変動する。また のことだが。 図13からわかるように公転周期は朔望周期より約 2日短い。 スーパームーン 月が朔望を14回繰り返す日数は413.406日で, 潮汐力 近地点通過を15回繰り返す日数は413.325日でそ 地球は大きすぎる衛星である月のためさまざまな の差はわずか2時間である。 影響を受けている。2つの物体間に働く万有引力は この日数は1年1ヶ月17日で,この周期で大き それらの質量の積に比例し,その距離の2乗に逆 な満月を見ることができる。この現象はスーパー 比例する。すなわち元の距離から2倍離れると ムーンと言われ,近年よく言われるようになったが 1/4,3倍離れると1/9,10倍離れると1/100となる。 天文学用語ではない。 2物体としてある天体Aと地球B,地球上の2点P とQを考えよう。ただしPはAに近い方で,Qは Aに遠い方とする。P,Qでの引力はそれぞれ, GM/(d-r)2 GM/(d+r)2 で当然前者 の方が大きい。 記号は d:両天体の距離 r:地球の半径 M:天体Aの質量 G:重力定数を表わす。 図15 スーパームーン 2018年1月2日 2019年2月19日 図14 潮汐力 2020年4月7日 地球の中心から見るとPはAの方向へQはその 2021年5月25日 2022年7月12日 逆方向へ,すなわち地球は左右両側に引かれること 2023年8月29日 になる。その力は潮汐力と言われるもので,Pある 2024年10月16日 いはQと地球中心の引力の差GMr/d3であり距 2025年12月3日 離dの3乗に反比例する。潮汐力は万有引力に比べ, 離れると急速に弱まる。すなわち元の距離から2倍 スーパームーンが起こった日は表の通り,ただし 離れると1/8,3倍離れると1/27,10倍離れると 満月の時刻と近地点通過の時刻が12時間以内のも 1/1000となる。潮汐力は文字通り1日2回起こる のに限っている。 62 NAIS Journal
太陰太陽暦の置閏法と暦作成の規則 古代の暦学者(同時に占星術師)は小数というもの
| 季節を表す太陽の動きと月の満ち欠けをもとに作 | は知らなかったが19/7という分数が最適値であ | ||
|---|---|---|---|
| られた暦は「太陰太陽暦」 | と呼ばれ日本では明治5 | ることを発見した。すなわち19年間に閏年を7回 | |
| 設置すればいいということはすでに古代ギリシア | |||
| 年まで使われていた。江戸時代初めまでは中国より | |||
| (メトンの周期という)でも戦国時代の中国(章法 | |||
| 伝わった暦を元にしていた。古代においてほとんど | |||
| という)でも知られていた。 | |||
| の民族は太陰太陽暦を使っていた。現在わが国では | |||
| 太陰太陽暦は「旧暦」となりサポートしていないが, | 1月とは月の満ち欠け周期(朔望月)29.530589… | ||
| ----------------------------- | --- | ----- | ----------------------------- |
| 東アジアのほとんどの国では新年は太陽暦ではなく | 日であり,1年と1月との比は12.368266…,どう | ||
| 太陰太陽暦で祝っている。またイスラム教諸国では | してもきれいな整数比にならない(無理数?)。し | ||
| 純粋な太陰暦が今も生活の中で使われている。 | たがって,何年かに何度かは閏月を置いて1年を | ||
| 一口に太陰太陽暦と言っても,歴史の中ではたく | 13月として調整しなければならない。それには | ||
| さんの暦があり,私たちが通常「旧暦」 | と呼んでい | 12.368266…に近い分数をさがすことで,実際に | |
| るのは,太陽暦への改暦の直前まで使われていた「天 | やってみると実にたいへんな計算であることがわか | ||
| 保暦」(施行1844年~1872年)と呼ばれる暦であ | る。最も簡単な数でも235/19である。 19年と | ||
| る。 | 235月(=19×12+7)の差は0.087日だから, | ||
| 太陰太陽暦では朔を含む日が1日(月齢0.0を含 | この間に7回ほど閏月を置けばほぼ実用的な暦が | ||
| む日),2日は月齢1.0を含む日である。月齢とは | できる。 | ||
| 朔(新月)からの時間を日で表した数値で,新月で | ところが200年もするとこのわずかな誤差が成 | ||
| は月齢 0.0だが,満月では15.0とならず13.8から | 長して約1日もずれてくる。235/19の次に簡単 | ||
| 15.8の範囲になる。そして次の新月の日がやって | な数となると3661/296で.296年間に109回の | ||
| くると,それを次の月の1日とする。1月の日数は | 閏月,100年間に約1時間半のズレだから前述の数 | ||
| 29日または30日となる。2021年9月は21日が | 値よりずっと正確である。しかしこの数を求めるに | ||
| 旧暦の八月十五日で朔の時刻が当日の8:55だった | はさらに冗長な計算が必要になってくる。 | ||
| ので中秋の名月に満月になったとちょっと話題に | 中国では戦国時代から1回帰年,1朔望月の値の | ||
| なったが,この現象は2024年まで続く(表12)。 | 取り方や年初の置き方でさまざまな暦が使われてき | ||
| 新月から新月までは平均して約29.5日の間隔だ | た。南朝の大数学者である祖冲之(429-500)は | ||
| から,12ヶ月間では29.5日×12=354日であり, | 391年間に144回閏月を置くという「大明暦」を作っ | ||
| 太陽暦の1年より約11日短いため,そのままでは | た。12.368266…に近い分数として4836/391と | ||
| どんどん季節とずれていってしまう。もしそのまま | いう数値を求めたのだ。 | ||
| まったく修正をしないと,17年経つと187日(約 | これは数百年経過しても誤差は数時間に収まると | ||
| 半年)のズレ,すなわち真夏に元日を迎えることに | いう非常に優れた暦だ。しかしこの暦は作成が難し | ||
| なってしまう。季節の変化がない地域に住む人々は | かったせいか,採用されたのは彼が亡くなって50 | ||
| このように月の満ち欠けだけに基づく「太陰暦」を | 年後のことだった。当時ヨーロッパはギリシア・ロー | ||
| 使っているが,モンスーン地帯に住む農耕民族に | マ文化がゲルマン人によって滅ぼされた暗黒時代, | ||
| とってはそうはいかない。そこで季節を表すものと | 日本ではやっと文字が使われ始めたころのことだ。 | ||
| してP54で述べた二十四節気を使うわけである。 | また円周率を3.141592まで求めている。これは当 | ||
| またズレが1ヶ月分に近くなると,閏(うるう)月 | 時の世界最高レベルの値で,ヨーロッパでこれより | ||
| というものを入れて,ズレを修正する。例えば,5 | 詳しい値が知られたのは16世紀になってから,す | ||
| 月の次に閏月が入るとその月は「閏5月」と呼ばれ, | なわち祖冲之は1000年以上も世界最高記録を持っ | ||
| その年は13ヶ月間あるということになる。1年で | ていたことになる。彼はよほど計算達者だったと思 | ||
| 11日の不足だから3年で33日不足,そこで3年に | われる。果たしてどんなアルゴリズムを使ったの | ||
| 1回閏月を設ければ多少調整できる。でもまだ不十 | か?これらが記されているという彼の著書『綴術』 | ||
| 分で,修正は約2.6年毎か2.7年毎が適正のようだ。 | は残っていない。祖冲之の役職は「太史令」という | ||
| 太陰太陽暦では1年は太陽が天球上の元の位置 | 天文官かつ歴史官である。古代中国では人民に時を | ||
| に戻ってくる周期(回帰年)365.242194…日であり, | 知らせることは皇帝の重要な仕事であり,そのため | ||
| NAIS Journal 63 |
暦の作成・配布のために専属の官吏が任命されてい た。彼らは暦を作るだけでなく,日食・月食・惑星 運行の記録や予報も行っている。さらに国家の安泰・ 王朝の命運のための占いもする。もちろん歴史書の 編纂も。かの大歴史学者である司馬遷(BC145- BC87)も漢の太史令であった。 筆者は2007年夏,出張先の天津科技大学の構内 でたまたま彼の胸像に出会った。彼は中国各地で敬 われているようである。 他にどんな分数があるのか。n太陽年≒m朔望 月として1000年間実際に計算してみた。求める分 数は m/n で,m%nはmをnで割った余り,すな
| わちこの n 年間に置くべき閏月の回数で,mn0は | 図16 祖冲之像(天津科技大学) | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| この n 年と m 月の差(日),そしてmn1は100年 | |||||||||
| 間の差(時)を表している。|mn0|<0.25 すな | の暦は完成しなかったが,その過程には私たちの学 | ||||||||
| -------------------------- | --- | --- | --- | --- | --- | ----------------------- | --- | --- | --- |
| わちn太陽年とm朔望月の期間の差が1/4日未満 | ぶところがたくさんある。 | ||||||||
| であるものをピックアップした結果が表13である。 | |||||||||
| nが19の倍数は除いてあるが,③④⑤⑥のn,m | 閏月を置く規則は | ||||||||
| ----------------------- | --- | --- | --- | --- | --- | --------------- | --- | --- | --- |
| の値は①と②の値から得られるもので独立ではな | ・新月の日を毎月の1日とする | ||||||||
| ・ 春分は二月,夏至は五月,秋分は八月,冬至は | |||||||||
| い。⑦は祖冲之の求めた値で⑧から⑭までの値もす | |||||||||
| べて①②⑦の組み合わせで得られる。この計算は余 | 十一月に含まれる | ||||||||
| ----------------------- | --- | --- | --- | --- | --- | ----------------------- | ------ | ------ | --------- |
| り(%)と2重ループとif文の演習問題だから, | ・ 二十四節気の「中」を含まない月は前の月を繰 | ||||||||
| トライしてみませんか。 | り返し,閏○月と呼ぶ | ||||||||
| このように太陰太陽暦の作成には繁雑な計算を伴 | 2000年から2032年まで閏月が置かれる年は | ||||||||
| う。太陽と月の運行周期を同時に活かそうという試 | 2001 年,2004 | 年,2006 | 年,2009 | 年,2012 年, | |||||
| 行錯誤が長期間にわたって続けられてきた。結局こ | 2014 年,2017 | 年,2020 | 年,2023 | 年,2025 年, | |||||
| 2028年,2031年の12回ある。 | |||||||||
| 表13 置閏の計算結果 | 2023年の場合,二十四節気の中と朔の日付は表 | ||||||||
| --- | --- | ----------- | --- | ---------- | --------- | ----------------------- | --- | ----- | ------ |
| ○○のように,3 | 月 日から | 月 日までは | |||||||
| n | m | m%n | mn0 | mn1 | 22 | 4 19 | |||
| ① | 19 | 235 | 7 -0.08673 | -10.95524 | 二十四節気の中がないので閏二月となる。 | ||||
| ② | 穀雨(4月20日)の日は朔と重なるが,この日 | ||||||||
| 296 | 3661 | 109 | 0.2031 | 1.64672 | |||||
| は三月一日であり,5月20日からが四月となる。 | |||||||||
| ③ | 315 | 3896 | 116 | 0.11637 | 0.8866 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | ------- | ------ | --- | --- | --- | --- |
| さらに6月18日からが夏至を含む五月である。 | |||||||||
| ④ | 334 | 4131 | 123 | 0.02964 | 0.21296 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | ------- | ------- | --- | --- | --- | --- |
| この方法で現行暦から天保暦へ変換ができるが | |||||||||
| ⑤ | |||||||||
| 353 | 4366 | 130 | -0.05709 | -0.38816 | |||||
| --- | --- | ---- | --- | -------- | -------- | --- | --- | --- | --- |
| 2033年には有効でないことがわかっている。しか | |||||||||
| ⑥ | 372 | 4601 | 137 | -0.14382 | -0.92788 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | -------- | -------- | --- | --- | --- | --- |
| しそのサポートは行われていない。現行暦と旧暦と | |||||||||
| ⑦ | 391 | 4836 | 144 | -0.23055 | -1.41514 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | -------- | -------- | --- | --- | --- | --- |
| の変換には非常に繁雑な計算を通さず,[18],[19] | |||||||||
| ⑧ | 630 | 7792 | 232 | 0.23273 | 0.8866 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | ------- | ------ | --- | --- | --- | --- |
| のサイトを利用すると便利である。 | |||||||||
| ⑨ | 649 | 8027 | 239 | 0.146 | 0.53992 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | ----- | ------- | --- | --- | --- | --- |
| ⑩ | |||||||||
| 668 | 8262 | 246 | 0.05927 | 0.21296 | 日本の暦史 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | -------- | -------- | ----- | --- | --- | --- |
| ⑪ | 687 | 8497 | 253 | -0.02746 | -0.09591 | ||||
| わが国ではいつから暦を使いだしたのだろうか? | |||||||||
| ⑫ | 706 | 8732 | 260 | -0.11418 | -0.38816 | ||||
| --- | --- | ---- | --- | -------- | -------- | --- | --- | --- | --- |
| 『魏志倭人伝』には「倭人は正歳四時を知らない。 | |||||||||
| ⑬ | |||||||||
| 725 | 8967 | 267 | -0.20091 | -0.66509 | ただ春耕秋収を記して年紀としているだけである」 | ||||
| --- | --- | ----- | --- | -------- | -------- | ----------------------- | --- | --- | --- |
| ⑭ | 983 | 12158 | 362 | 0.17564 | 0.42883 | と記されているが,農業や航海に暦は必要ではな | |||
| 64 NAIS Journal |
| ↓日 | 2022年旧暦 | ↓日 | 2023年旧暦 | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 2 | 3 | 4 5 | 6 7 | 8 | 9 10 11 12 | 1 2 | 3 4 | 5 | 6 7 8 | 9 10 11 12 | ||
| 1十一 ● | ● | ● 五 | 六 | 七 八 | 九 十 十一 | 1 | ||||||
| 2 一 | 三 | 四 | 2 | |||||||||
| 3● | ● | 3 | ||||||||||
| 4十二 | 二 | 七夕 | 4 | |||||||||
| 5 | 5 | |||||||||||
| 6 | 6 | |||||||||||
| 7 | 7 | |||||||||||
| 8 | 8 | |||||||||||
| 9 | 9 | |||||||||||
| 10 | 10 | |||||||||||
| 11 | 名月 | 11 | ||||||||||
| 12 | 12 | |||||||||||
| 13 | 13 | ● ● | ||||||||||
| 14 | 14 | 十 十一 | ||||||||||
| 15 | 15 | ● ● | ||||||||||
| 16 | 16 | ● | 八 九 | |||||||||
| 17 | 17 | 七 | ||||||||||
| 18 | 18 | ● | ● | |||||||||
| 19 | 雨水 | 19 | 雨水 | 五 | 六 | |||||||
| 20大寒 | 穀雨 | 20大寒 | ● | ●穀雨 | ● | |||||||
| 21 | 春分 | 小満 夏至 | 21 | 二 | 春分 三 | 小満 夏至 | ||||||
| 22 | 小雪 冬至 | 22● | ● | 四 | 小雪 冬至 | |||||||
| 23 | 大暑 | 処暑 秋分 | 霜降 ● | 23 | 閏二 | 大暑 処暑 | 秋分 | |||||
| 24 | ● 十二 | 24 | 霜降 | |||||||||
| 25 | ● 十一 | 25 | ||||||||||
| 26 | ● | 十 | 26 | |||||||||
| 27 | ● 九 | 27 | ||||||||||
| 28 | 八 | 28 | ||||||||||
| 29 | ● | ● | 29 | |||||||||
| 30 | ● 六 | 七 | 30 | |||||||||
| 31 | 五 | 31 | ||||||||||
| 1 2 | 3 | 4 5 | 6 7 | 8 | 9 10 11 12 | 1 2 | 3 4 | 5 | 6 7 8 | 9 10 11 12 | ||
| 図17 2022年(平年)と2023年(閏年)のカレンダー | ||||||||||||
| かったのだろうか?最近稲作の始まりは紀元前から | が使用され,また天文定数は非常に正確になった。 | |||||||||||
| ------------------------------- | --- | --- | --- | --- | -------- | --- | -------------------------- | ------------------------- | --- | --- | --- | --- |
| と言われるようになったが,種まき刈り入れの時期 | 明治政府は文明開化の一環としてグレゴリオ暦を導 | |||||||||||
| を決めるために暦は必要ではなかったのか?わが国 | 入し陰陽寮も廃止された。旧暦の使用は明治五年 | |||||||||||
| では四季がはっきりしているので詳しい暦は要らな | 十二月二日で終わり,翌日は明治6年(1873年) | |||||||||||
| かったのか? | 1月1日となったので,明治五年には十二月三日以 | |||||||||||
| 『日本書紀』によれば欽明十五年( | 554),百済か | 降,したがって大晦日もなかったわけだ。[20] | ||||||||||
| ら暦博士 固徳王保孫(ことくおうほうそん)らが | 朔望月の値はどれも現在値とほぼ同じであり,太 | |||||||||||
| 来日したそうだが,実質的にはわが国に暦をもたら | 陽年は貞享暦以降,精度が良くなっている。天保暦 | |||||||||||
| したのは百済の僧・観勒で推古十年(602年)のこ | では100年間使い続けると生じる誤差が,わずか | |||||||||||
| とと言われている。その翌々年から使われたこの暦 | 0.004日(5分)である。宣明暦は800年以上使っ | |||||||||||
| が元嘉暦(げんかれき)で中国・南北朝時代の宋の | ていたので2日の誤差が生じたが,ヨーロッパで | |||||||||||
| 数学天文学者・何承天(370 – 447)が編纂した暦 | はユリウス暦を1300年も使っていたので10日も | |||||||||||
| 法である。1太陽年を365と75/304(≒365.2467) | ズレていた。 | |||||||||||
| 日,1朔望月を29と399/752(≒29.530585)日, | 1779~1871年には暦の計算や測量などの基準は | |||||||||||
| 19年に7閏月を置いていた。その後中国で新しい | 京都(東経135度44分)に置かれていた。江戸幕 | |||||||||||
| 暦に変わるたびにその暦を輸入して使っていたが, | 府が二条城西側の三条台村に京都改暦所(西三条改 | |||||||||||
| 10世紀初めの遣唐使の廃止により宣明暦が使い続 | 暦所などとも呼ば | |||||||||||
| けられることになった。改暦の動きは何回かあった | れ,現在の京都市中 | |||||||||||
| が先送りされ,江戸時代になって初めてわが国独自 | 京区西ノ京西月光町 | |||||||||||
| の測量や中国との里差(時差)の補正などを骨子と | 月光稲荷神社の北 | |||||||||||
| した貞享暦が出来上がった。その後,改暦の業務は | 側)という役所を設 | |||||||||||
| 朝廷の陰陽寮から幕府の天文方に徐々に移ってい | け,改暦所を通る子 | |||||||||||
| く。寛政暦からはオランダ経由で西洋天文学も導入 | 午線が基準として使 | |||||||||||
| され,天保暦では二十四節気決定にケプラーの法則 | 用されるようになっ | |||||||||||
| 図18 京都改暦所跡 | ||||||||||||
| NAIS Journal 65 |
表14 日本の旧暦 [20]
| 暦法 | 施行年 | 年数 | 選者 | 太陽年 | 朔望月 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 元嘉暦 | 推古十年(602) | 95 | 何承天 | 365.2467日 | 29.530585日 | ||
| 儀鳳暦 | 文武元年(697) | 67 | 李淳風 | 365.24478 | 29.530597 | ||
| 大衍暦 天平宝字八年( | 764) | 94 | 一行 | 365.24441 | 29.530592 | ||
| 五紀暦 | 天安二年(858) | 4 | 郭獻之 | 365.24478 | 29.530597 | ||
| 宣明暦 | 貞観四年(862) | 823 | 徐昻 | 365.24464 | 29.530595 | ||
| 貞享暦 貞享二年(1685) | 70 渋川(保井)春海 | 365.241696 | 29.530590 | ||||
| 宝暦暦 宝暦五年(1755) | 43 | 土御門泰邦ら | 365.241626 | 29.530590 | |||
| 寛政暦 寛政十年(1798) | 46 | 高橋至時ら | 365.24234707 | 29.530584 | |||
| 天保暦 天保十五年(1844) | 29 | 渋川景佑ら | 365.24223395 | 29.530588 | |||
| 太陽暦 明治六年(1873) | 365.2425 | 29.530589 | |||||
| た。1821年に完成した伊能忠敬の『大日本沿海輿 | 元号 | ||||||
| 地全図』は,改暦所を通る子午線を「中度」(経度 | 2019年は改元が行われ,新元号令和は5月1日 | ||||||
| の基準)として示している。今はその跡地に地名だ | から施行された。西暦と同じく元号にも0年はな | ||||||
| けが残っているだけである。 | く元年という。 | ||||||
| 太陰太陽暦では同じ日付であっても,それを現在 | 令和=平成-30=西暦-2018 | ||||||
| の暦での日付に換算すると,年ごとに違う日付にな | 平成=西暦-1988 昭和=西暦-1925 | ||||||
| る。例えば旧正月や中秋の名月の日付は毎年変わる。 | |||||||
| 表15 元号継続ベスト10 | |||||||
| また逆に年間で最も爽やかな若緑の眩しいこどもの | |||||||
| 名称 | 年数 | 時代 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 日は現行暦では5月5日に固定されているが,旧 | |||||||
| 昭和 | 64 | ||||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 暦では菖蒲の節句は毎年変わる。したがって現行暦 | |||||||
| 明治 | 45 | ||||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| よりも旧暦のほうが季節に合っているというのは正 | |||||||
| 応永 | 35 | 室町 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| しくない。だからこそ中国では太陽の運行に基づく | |||||||
| 平成 | 31 | ||||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 二十四節気が作られ太陰太陽暦と併用されてきたの | |||||||
| 正平 | 24 | 室町 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| である。現在,世界中どこの国でも公式には太陽暦 | |||||||
| 天文 | 24 | 室町 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| を使っているが,伝統行事は今も太陰太陽暦で受け | |||||||
| 延喜 | 23 | 平安 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 継がれているし,将来も続くだろう。実際,日本と | |||||||
| 寛永 | 22 | 江戸 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| フィリピンを除く東アジアのほとんどの国々では新 | |||||||
| 天平 | 21 | 奈良 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| 年は旧正月で祝っている。中国語圏の春節,ベトナ | |||||||
| 享保 | 21 | 江戸 | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- | --- |
| ムのテトなどは大規模な行事で有名だ。なお旧1月 | |||||||
| 1日は「雨水」直前の新月の瞬間を含む日だが,国 | 元号の継続トップはもちろん昭和で次いで明治だ | ||||||
| -------------------------- | ---- | ----------- | --- | --------------------------- | --- | --- | --- |
| によって時差があるため,日が異なることがある。 | が,継続ベスト10は表15の通りだ。室町時代に | ||||||
| 2007年のその瞬間は日本標準時で2月18日1時 | 長期継続が多いのはなぜだろうか?逆に最も短いの | ||||||
| 14分で,中国(時差:-1時間)では同日だったが, | は朱鳥(686)の1.5ヶ月で,1年未満のものは養和, | ||||||
| べトナム(時差:-2時間)の旧正月は前日の17 | 暦仁,康元など平安末期から鎌倉前半に集まってい | ||||||
| 日だった。同じことが2030年(2月3日1時08 | る。このころは源平の合戦,承久の変,元寇など戦 | ||||||
| 分JST)にも起こる。さらに2027年と2028年に | 乱,また天変,地震,飢饉,疫病など天災が多く, | ||||||
| は新年の新月はそれぞれ2月7日0時56分,1月 | 縁起をかついで改元が行われたようだ[21]。 | ||||||
| 27日0時12分に起こり,この瞬間は中国でもベト | 源頼朝は久安三年(1147)に生まれ没年は建久 | ||||||
| ナムでも前日なので,春節もテトも日本より前日で | 十年(1199),その間元号は久安・仁平・久寿・保元・ | ||||||
| ある。新年の日だけでなく「1月」の日付がすべて | 平治・永暦・応保・長寛・永万・仁安・嘉応・承安・ | ||||||
| ずれる。この現象は旧1月に限ったことではなく, | 安元・治承・寿永・元暦・文治・建久と17回も変わっ | ||||||
| 新月の瞬間が午前 | 0 時~ | 1 時となると起こる。 | ているが,年齢はどうやって数えたのだろうか? | ||||
| 2012年では旧3月~旧7月に起こった。 | ひょっとして干支60進法?まさか皇紀? | ||||||
| 66 NAIS Journal |
参考文献 和暦も西暦も皇紀もわからず,干支だけである事 [1] File:Julius Caesar Coustou Louvre MR1798.jpg - 件から別のある事件までの経過年を知るには次のよ Wikimedia Commons うにすればよい。 [2] File:Statue-Augustus.jpg - Wikimedia Commons 1) 表16のような干支の2次元表を作る。甲子 [3] File:JapaneseDelegatesAndPopeGregory13.JPG - のセルに1を書き,順に斜め下に2,3,4と Wikimedia Commons [4] http://web1.kcg.edu/~sakka/koyomi/eto.htm 書いていき,癸で折り返し甲の列に移る。同 [5] File:Omar Khayyam2.JPG - Wikimedia Commons 様に最下行亥で折り返し子の行へ移る。 [6] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%A0% 2) ある人の誕生年の干支が甲申だとするとそれ 82%E9%96%A2%E7%99%BD%E8%A8%98 に当たる番号21と,今年(2022年)の干支 [7] https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/013/ である壬寅に当たる番号39との差は18であ [8] https://www.kcg.ac.jp/kcg/sakka/kagakushi/youbi.pdf [9] https://ja.wikipedia.org/ るから,その人は18歳である。 wiki/%E6%9B%9C%E6%97%A5 3) ただし60を加えた78歳かもしれない。この [10] http://web1.kcg.edu/~sakka/oldchina/page4.htm 差が負の場合は60を加える。 [11] http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_27.html [12] http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C6FCA4CEBDD 表16 干支表 0C6FEA4EAA4C8C6EEC3E62FC3EBA4C8CCEBA4 CEC5F9A4B7A4A4C6FC.html
| 甲 乙 | 丙 丁 | 戊 己 | 庚 辛 | 壬 癸 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|
| [13] http://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/koyomix.cgi | ||||||
| 子 | 1 | 13 | 25 | 37 | 49 | |
| --- | --- | ---- | ---- | ---- | ---- | --- |
| [14] http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/ | ||||||
| 丑 2 14 26 38 50 B5A8C0E12FBBA8C0E1A4C8A4CFA1A9.html | ||||||
| 寅 | [15] http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/ | |||||
| --- | --- | --- | --- | --- | --- | ------------------------------------------ |
| 51 | 3 | 15 | 27 | 39 | ||
| B5A8C0E12FBCB7BDBDC6F3B8F5.html | ||||||
| 卯 | 52 | 4 | 16 | 28 | 40 | |
| --- | ---- | --- | ---- | ---- | ---- | --- |
| [16] https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/ | ||||||
| 辰 | 41 | 53 | 5 | 17 | 29 | sennin.html |
| --- | ---- | ---- | --- | ---- | ---- | ----------- |
| [17] http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/C3E6BDA9A4C | ||||||
| 巳 | 42 | 54 | 6 | 18 | 30 | |
| --- | ---- | ---- | --- | ---- | ---- | --- |
| ECCBEB7EEA4C8A4CF2FCCBEB7EEC9ACA4BAA | ||||||
| 午 | 31 | 43 | 55 | 7 | 19 | 4B7A4E2CBFEB7EEA4CAA4E9A4BA.html |
| --- | ---- | ---- | ---- | --- | ---- | --------------------------------- |
| 未 | [18] http://www.wagoyomi.info/ | |||||
| 32 | 44 | 56 | 8 | 20 | ||
| [19] https://keisan.casio.jp/exec/system/1239884730 | ||||||
| 申 | 21 | 33 | 45 | 57 | 9 | |
| --- | ---- | ---- | ---- | ---- | --- | --- |
| [20] http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/ | ||||||
| 酉 | 22 | 34 | 46 | 58 | 10 | CEF2BBCB2FC6FCCBDCA4CECEF1.html |
| --- | ---- | ---- | ---- | ---- | ---- | ------------------------------- |
| [21] https://izumiya-inc.com/campaign/gengou-ichiran | ||||||
| 戌 | 11 | 23 | 35 | 47 | 59 | |
| --- | ---- | ---- | ---- | ---- | ---- | --- |
| 亥 | 12 | 24 | 36 | 48 | 60 | |
| 昔は誕生日でなく新年で年齢を加算していく方式 | ||||||
| (数え年)だったので元号が変わっても影響なかっ | ◆著者紹介 | |||||
| ----------------------- | --- | --- | --- | --- | --- | ----- |
| たのだろう。 | ||||||
| 作花 一志 Kazushi Sakka | ||||||
| 現行暦よりも旧暦のほうが季節に合っているとい | ||||||
| うのは正しくない。公式には太陽暦を使っても伝統 | ||||||
| 京都情報大学院大学教授 | ||||||
| 行事は今も太陰太陽暦で受け継がれているし,将来 | 日本応用情報学会理事 | |||||
| ----------------------- | --- | --- | --- | --- | --- | ---------------- |
| も続くだろう。太陰太陽暦の改定は数学・天文学の | 京都大学理学研究科修了 理学博士 | |||||
| 元京都コンピュータ学院鴨川校校長 | ||||||
| 発達とともに歩んできた。先人の努力を忘れないよ | ||||||
| 元京都大学理学部・総合人間学部講師 | ||||||
| うにしたいものである。 | ||||||
| 元日本天文教育普及研究会編集委員長 | ||||||
| NAIS Journal 67 |
◇法緣留言(—)
載入中…